ネットの作り手は移り気がちょうどいい


こんにちは。検索迷子です。


今日のお話は、
仕事も遊びもインターネット、
インターネットサービスの優れた作り手は移り気?という話、
です。



■職場で隠れてインターネットをしていた時代


かつて私は、インターネット業界以外で働いていました。
その会社では情報系の企業でした。
インターネット接続ができる環境は、1997年位には全従業員に用意され、
新しい技術導入に投資を惜しまない会社でした。


つまり私は、12年以上もインターネットを使っていることになります。
でも、ここで検索迷子だと言っているのはなぜでしょう?
それには理由があります。


当時はその会社では、技術研究職、営業職、調査部門以外の人たちは、
インターネットを使うこと=業務中に遊んでいるという、
今では考えられない見方をされていました。
インターネットは、危ないもの、へんな情報に誘導されるもの、
遊びやアダルトコンテンツばかり、という印象がもたれていました。


そのため、一人一台のPCがあり、いつでも閲覧できる状態でありながら、
インターネットができる時間は、
始業時間前、お昼休みだけと暗黙のルールがありました。
業務中、インターネットをしている人は注意を受けたくらいです。


インターネットのイメージの主流は、
学術関連の難しい情報がでてくるか、遊びのコンテンツかのどちらかで、
大半の従業員には業務上必要はないというものでした。
今の時代からは考えられないくらい、不自由な使い方でした。



料金体系、回線環境が現在とは違うため、
時間数が支払い費用にダイレクトに響いた、ということもあります。
費用がかさむから無駄に使わないようにということでした。


ときどき、好奇心で占いサイトにアクセスしても、
後ろに誰か通ろうものなら、速攻で画面を閉じていました。
その頃、一番使ったのは、画面を閉じるチェックボックスかもしれません。


例外的に、自由な閲覧が認められたのは、
外出予定がある時の地図や路線情報サイトへのアクセス、
飲み会の幹事になったときのお店調べだけでした。
インターネットは好奇心とはおよそ無縁で、実務的な調べる道具でした。
その状態は数年続いたと思います。



学術情報を探しあてて、使いこなしていた人でさえも、
事前に専門誌から、確かな情報が掲載されているサイトということを確認して、
アクセスしていたような記憶があります。


当時、どんなコンテンツが存在していたのかも、
残念ながらほとんど覚えていません。
使い始めた時期は比較的早くても、使いこなした記憶はありません。



あくまで推測にすぎませんが、
インターネットなんてといった風潮が、
他の会社もにもあったのではないかと、思っています。




■いつでも、どんなサイトでも見放題、使い放題の環境


私がインターネット業界に入った頃、
インターネットを使ったことがありますか?
いつから使ってますか?
というのが面接の定番質問だったようです。


面接で1997年から使っていますと答えると、
あ、早いほうですねと言われた覚えがあります。
面接官が、この人はインターネットができると誤解をしてくれたおかげで、
無事入社することができました。
でも、個人としては月3時間、業務利用なしといった状態でした。


インターネット業界に勤めて驚いたのは、
当然と言えば当然ですが、
インターネットがいつでも自由に使える環境でした。


私の当初の仕事は、一日中サイトを見ることでしたから、
業務として一日ずっとインターネットをし放題でした。
信じられないことでした。
見たことのないインターネットの世界に足を踏み入れました。


ところが、それでも私はまだ検索迷子の道を歩いていました。
なぜでしょう?
それは、業務で必要なサイトを、業務だと思いながら見ていたことでした。


楽しんで使うのではなく、
サイトを見る仕事だから見ていただけでした。
ただの、仕事の道具の一部がインターネットだったのです。
まだ、不自由な使い方をしていたのだと思います。



■業務中に競合他社サイトを使い、楽しむ人たち


インターネットサービスを作る会社には、
社内には、インターネットの使い手が多数いました。
私以外の大多数は、本気でインターネットが使える人たちでした。


勤めだして私が特に驚いたのが、
業務中に他社サービスを、何の躊躇もなく使っている人がいることでした。
それも少数ではなく、相当数。
競合調査とかではなく、明らかに普通に使っているという使い方でした。


特に、招待制コミュニティサービスが流行り始めた頃、
フロアを歩くと、その画面を開いている人の多いこと多いこと。


他の業種はわかりませんが、
業務中に、他社製品やサービスに手放しで夢中になることは、
本来はかなり後ろめたい行為だった気がします。


会社の外や家でとか、人から見えない場所でとか、
他社サービスへの接触はご法度だった気がします。
もし、使うなら、プロジェクトで競合調査を目的に公言してとか、
研究開発目的でとか、他社サービスを業務中に見ていい理由が必要でした。


でも、その会社に制限する風土はありませんでした。
これは、会社の管理がルーズということではありません。
インターネットのサービスは日々、新しい技術が生まれてくる世界です。
だから、普通に使い続けることが大事な時間だったのです。


そのため、他社サービス、自社サービスという垣根がなく、
使って、試して、いいものがあれば取り込む、
そのためにはインターネット上に存在するものは、
積極的にどんどん使うということが風土として定着していました。


自社サービス愛とか、
他社サービスを敵対視するとか、
そういう狭い世界のことではなく、
とにかく一人ひとりが、利用者として使ってみることを許容する空気でした。



といっても、
自由にインターネット閲覧できる環境にいても、
全員が好きなサイトをどんどん利用していたわけではありません。
その典型が私のような保守派だと思います。


私は、インターネットの世界で流行といわれているサイトも、
競合調査をするように言われない限り、アクセスさえしませんでした。


なぜなら、アカウントをとるだけで怖いというくらい、
インターネットを使う危険性、どこに飛ばされてしまうわからない不安感、
とにかくどんな場か全くわからなかったからです。
インターネットを自由に、楽しんで使うという発想はありませんでした。



■いいものは真似して、業界水準を高める


あるとき、不思議なことに気付きました。
公私の見境なくインターネットを使っている人ほど、
いいサービスを作るのです。


また、何かの際に、自社にあるサービスで用が済むことを、
平気で競合サービスを利用して、共有していたりします。


一例ですが、
自社で地図情報サービスを持っていたとしても、
他社の地図情報サービスで、外出先の現地案内をするということです。
そして、誰もそれをとがめませんし、ひんぱんにそういうことはありました。


なぜなら、いいものを使いたいことに、人は正直だからです。
自社のよりもいいものがあれば、他社を使うだけなのです。
悪意があってではありません。
社内の人間ですら、
自社と他社の境目がなくインターネットの利用者の一人なのです。


さすがに、サービス担当者は自分のサービスにプライドを持ち、
他社がいいことを知っていても、
共有するときは自社サービスを利用していますが、
社内には、他社サービスを平気で使いこなす人がたくさんいました。
不思議な環境でした。


でも、そうやって、いいサービスは使い込まれ、
いまひとつのサービスは淘汰されていくのです。
自社のサービスだからといって、従業員ということに何の拘束力もないのです。
あるのは、いいサービスを使うことが快適だという空気でした。


愛社精神ってないの?と戸惑って思っていた私も、
いつしかその風潮になじんでいきました。
そして、自社社員にまず愛されるサービスを作ろうと思いました。


一日中インターネットを使い続ける、
もっともヘビーユーザーで、
目が肥えたシビアな利用者は自社社員だと実感しました。
社員だからという特典も特になかったため、
特に課金サービスを使うかどうかは、相当シビアだったと思います。


なぜなら、見ているサイトの量が圧倒的に違います。
技術面、機能面、デザイン面など、
これはいいと思ったものをどんどん提案してきます。
他社の真似だからやらないという発想ではなく、
いいと認知されているものは取り込もうという考えです。


不思議なことに、
同じ発想は、他社にも、もっと言えばインターネット業界全体にも、
根付いていたような気がします。
ちょっと似ている、かなり似ている、区別がつかない、
というサイトって、見たことありませんか?


はじめ私は、真似に否定的でした。
独自性を出さねばと思っていました。
でも、いいものはいいのです。
使っている方たちが、もう十分証明してくれているのです。
だったら、真似から始めて、オリジナルを追求すればいいと、
考え方が変化していきました。



■身軽に考えるとサービスの可能性が広がる


私自身、規制された環境でのインターネット利用からスタートしたため、
積極的に新サービスを利用することも、楽しむこともできませんでした。


インターネットサービスの作り手には、
しがらみも先入観もなく、ひょいと身軽に新しいサービスや競合を使って、
使える時間にいつでも使い倒して、公私の別も場所も選ばないくらい、
夢中になれる人が向いているようです。


流行のサイトや新機能を速習していく人たちが、
次のいいサービスを生み出す力を蓄えているような気がします。
自分で学習したことを、
惜しみなく業務に還元している優秀な方たちに、今でも教わることが多い日々です。


思えば、ウィキペディアもショッピングサイトも、mixitwitterも、
サービス開始時点では、自分の狭い視点では理解ができないものでした。
なんか、大丈夫かなこれと不安だらけでした。
そんなときはいつも、優れた使い手たちに直接機能を教えてもらっていました。



私は、まだまだ保守的な使い手の一人ですが、
はてなダイアリーを始めることで、
少しだけ乗り越えられたものがあります。


インターネットの世界を歩くなら、
移り気くらいがちょうどいいのかなと思います。
変化を楽しみながら、変化を作り出す、
そういう立場になっていければと思います。



では、明日。またここで。


検索迷子