生きる意味を検索できるか

こんにちは。検索迷子です。


今日のお話は、
研究者からの問いかけに言葉を失い、
ウェブ社会とは何かを考えたという話、
です。



■『ウェブ社会をどう生きるか』を問いかけた本


今日のエントリー名は、
東京大学大学院情報学環教授の西垣通先生のご著書より、拝借しました。



ウェブ社会をどう生きるか (岩波新書) 西垣 通 (新書 - 2007/5)
ウェブ社会をどう生きるか (岩波新書)



第四章 生きる意味を検索できるか
をそのまま使わせていただいています。


この本を手にしたとき、
そのあまりにも鮮烈な問いかけに、何も言葉がでてきませんでした。
「生きる」と「検索」が、あまりにもかけ離れていて、
すぐに検索できるのかどうか、イメージに結びつきませんでした。


私は自分がインターネットサービスの作り手だったとき、
そして今、
インターネットで何々の情報を調べられるかといった見方はしても、
生きる意味といった視点では考えたことがありませんでした。


この問いを前にしたとき私は、
検索キーワードを考える、
検索結果の精度を検討する、
情報の提供元はどこかと考える、
検索エンジンの特性を知る、
そういった手元のことや目に見える範囲しか、
とても狭い範囲でのインターネットの世界しか、
自分は考えてこなかったと思いました。



研究者は、インターネットの空間を、
こんな風な切り口で考えるのかと、はっとしました。



■生きる意味を検索できるか


生きる意味を検索できるか、その意味するところは、
私が答えられる次元ではない壮大なものです。


西垣先生は、第四章の初めに以下のように書かれていますので、
引用させていただきます。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
ウェブから情報をコンピュータで検索し、それをもとに知の秩序を自動形成
していくという発想は、基本的に「情報小包論」にもとづいています。
つまり、情報とはあたかも煉瓦ブロックのように自在に配送できるものであり、
したがって適切な煉瓦ブロックを選択し、それらを適切なルールにもとづいて
組み立てていけば、有効な知識を体系的に手に入れられるということです。
この発想を延長していけば、「生きる意味」さえも検索できるような気がして
くるかもしれません。
 しかし実は、・・・
―――――――――――――――――――――――――――――――――――


本来なら、ご著書全体を通して理解すべきところを、
一部分だけ切り出すのは気がひけたのですが、
このような観点でインターネットを研究されている研究者がいらっしゃる、
ということを、ここでお伝えしたいと思いました。



■検索迷子なりに意味を考えてみる


私の稚拙で大雑把な解釈を書くと、
検索すれば全ての問題が解決すると短絡的には考えることはできず、
生物と機械との関わり、人と情報との関わり、
歴史的背景、周辺の知識を把握しながら、
今現在のウェブ社会をどう生きるか、生き方を考えていかなければならない、
そういったメッセージと受け止めました。


正直なところ、『ウェブ社会をどう生きるか』は、
私にとってとても難易度の高い本でした。
しかし、インターネットの世界の片隅で生きていくためには、
体系的に整理された本から、自分の立ち位置を教わっていかなければなりません。


時々、インターネットの世界の作り手ではない、
中立的な方たちの視点に触れていくことは、とても大切だと思っています。



反面、研究者の方が学術書で発信されている、
インターネットの世界を取り巻く環境や、
今どんなことが起きているのかといった見解は、日常から遠すぎることもあります。
しっくりこないこともあります。


それでも、自分が見えていない部分の真実を理解するため、
ときどき立ち止まってしっかり学ぼうと思って、
かなり背伸びをしながら本を読んでいます。



■インターネットは楽しいだけではないからこそ


楽しいもの、便利なもの、瞬間的に消えてしまう情報、
インターネットの情報はそれだけではありません。


人が生きることに関わっていくために、
生きるうえで必要なものとしてもらえるよう関わり続けていくために、
生きることにとってのインターネットとは何か、
作り手として真剣に考えていく必要があると思いました。


過去、私が手掛けたサービスは、
人によっては、とても楽しく、日々の彩りとして利用されていました。
そういう方たちが大多数でした。
でも、違う人によっては、生死に関わる深刻な問題、
明日どうするかに関わる問題と向き合う時間もあるサービスでした。


温室もあれば、常温の場所もあり、冷凍庫のような場所もありました。
それは、サービス側がそうしたのではなく、
利用する方たちの、今そのとき置かれている環境によるものでした。
想定していなかった使われ方だった面もありますが、
負の気持ちでも使おうと思う信頼されるサービスだったのだと思います。
だから、どんな人も存在する場所でした。


インターネットが作り手の思いと違う方向に動くという驚きは、
使ってくださる方たちが生きている人だから、当然のことです。


はい、作ったから使ってと、サービスを一方的に世の中に送り込むのではなく、
どんなシーンでも、どんな心理状況でも受け入れられるサービスであろうと、
心を砕いて、慎重にサービスを作っていました。


西垣先生の本は、
インターネットの表面だけで物事を考えてはいけないと、
立ち止まって考えることの大切さを教えてくださいました。


まだまだ読み込みが不足していますが、
インターネットがもはや一過性のものや、
若者の流行みたいな度合いではなく、社会に根付いているこの時代だからこそ、
西垣先生の書かれていることを理解していきたいと思います。



では、明日。またここで。


検索迷子