(2)SMAPとファンは、もはや一つの組織

こんにちは、検索迷子です。
今日の記事は、「剛 しっかりしなさい!」のブログ運営者である、凪(なぎ)さんとのコラボブログである。
そのため、通常の検索迷子と若干体裁を変えている。
凪さんからバトンを受け取った初回のため、主旨説明を後半にするが、さっそく本題に入る。

解散危機報道以前からの、SMAPファンとのつながり

稲垣さんが折に触れて言う、「SMAPが会社や組織」という視点を借りて、今日は感想を書く。
凪さんのブログ記事『コラボブログ SMAPとココカラ「そう簡単に、俺たちの時代は渡さない」』での、
AERA記事の稲垣さんの一節「SMAPという「会社」では互いの緊張感が保たれている」に、触発された内容だ。
今日は、SMAPファンのかたにリスペクトを込めて書きたい。


そのまえに、SMAPSMAPファンのかたとの私の距離について触れる。


18日放映の『SMAP×SMAP』の冒頭に行われたSMAPの会見後、世の中をうごめく多様な視点や意見に、自分の言葉を失いそうになった。
が、同時に、「自分にとってのSMAPとは、いったい何か」と考える時間も増えた。


時に突き放すような思いで、SMAPのことを考えてみたりした。
外的要因、環境面だけを羅列して、国を揺るがすほどの有事ではないとか、自分とは無縁の芸能界の出来事だとか、自分はSMAPの経済効果を享受しているわけではないとか、生命の安全を脅かされるような状況ではないとか、何か責任を負っているわけではないとか、自分の知らない世界で起きていることだと、あらゆる理由で自分を納得させて、この状況を静観していこうかと思った。


今日、初めて検索迷子を読んでくださるかたもいると思うので、私の立ち位置を明らかにしておきたいが、私はSMAPファンではない。だが、以下に書く経緯でSMAPファンのかたが身近な存在として日常にいる。


どんなに環境面や利害関係を挙げて、理性で他人事と思おうと思っても、それはもうできない場所に私は来ている。なぜかというと、私は偶然にも、SMAPを話題にしたブログ記事を2015年9月から書き始めて、インターネットのバーチャル空間での交流もそうだし、リアルな場面でもファンのかたと何名か対面して、好意的に接していただいたからだ。


私のブログにコメントをくださるかたも、TwitterでフォローしてくださるかたもSMAPファンのかたが大半となり、ファンのかたたちの心痛や気丈な思いは、私のタイムラインにあふれ、もはや理性では状況を受け止めきれず、いろんな感情がわきあがっている。ここでファンではないからと距離をとれないほどに、私はSMAPファンのかたに温かさをいただいた。


たぶん、解散危機の報道以降、Twitterやブログで私見を述べたSMAPファンでないかたは、単にちょっとつぶやいただけなのにという一言で、その反響の大きさに驚いていることと思う。え、今日だけちょっとつぶやいたつもりなのに、こんなにリツイートされたり、いいねボタンが押されるなんて、まさかフォローまでされるなんてと思っているかたも多いだろう。私も戸惑いながら、同じ道をたどってきた。どんな距離感でファンのかたと接すればいいのか迷うことも多かった。そして、だんだんわかってきたのだ。その、「SMAPを応援してくれているひとに、お礼のアクションをいとわないことが、ファンの行動規範にある」のだと。純粋にいいと思ったものにお礼をすることが、マナーのようにルールのように定着しているのだ。これはごく一部のため、列挙したものを後述するが、こうした行動を起こす意欲の高さには目を見張るものがあるのだ。


私は、Twitterはブログの更新情報を自動配信するためにアカウントを作っただけで、場には参加していなかった。ブログでアクセス解析で見るまで拡散されていることすら知らなかった。どんどん増え続ける閲覧数に驚愕し、そうして、お礼も言わないまま一か月を過ごした。日々、フォロワーさんが増え続けるなかで、無言を貫くのがだんだんつらくなってきた。こんなに、ありがとうと言ってくださるSMAPファンのかたたちに、純粋にお礼を言いたいと、やっと生身の人間として場に参加しようと思った。


4か月かけて、私の生活の一部には常にSMAPの情報がある状態となった。ファンのかたたちの声を、リアルタイムで知る場に自分はいる。なぜ、この場を続けようと思ったか、理由はただ一つだ。それは、SMAPの情報収集源として便利ということではない。「SMAPファン」という生き方をまっとうしているかたたちから、学ぶことが多いからだ。私は以前から、SMAP5人やスタッフが、会社や一大組織、巨大プロジェクトのようだと、仕事目線で観察していることも多かったが、だんだんとファンも、SMAPの組織の構成員なんだと確信するようになった。巨大組織を外部から応援するのではなく、内部の人間化していると思うようになった。


何かのファンになったことがない自分は、ファンという立場を軽視していた。エンタメ系のファンは流行りものに群がる、浮き沈みの激しいものだと誤解していたからだ。だが、SMAPは結成から28年も活躍し続けるグループだ。20年以上ファンだというかたの存在を多数知って、一過性のファンなんかではなく、もはや人生の一部にSMAPがあるという姿に触れた。そして、個別にやりとりをさせていただくなかで、社会人として見習うべき多数の行動を見せていただいた。


解散報道以降、「世界に一つだけの花の購買活動」「SMAP存続の署名活動」などが、インターネットニュースの話題となっている。ファンの活動に光が当たって嬉しいことだが、それは日常からの行動や思考が、非常時に結束して巨大な数値化された一つの結果でしかない。ファンは報道以前からずっと、こつこつとファン活動をしているのだ。日常的な行動の延長線上に、非常時があって一般層を巻き込んだうねりとなったが、アクションそのものは、ファンの日常の行動規範を実行しているに過ぎないのだ。


今日は、私がSMAPファンのかたたちに対するリスペクトを込めて、ファンのかたたちの行動の素晴らしさを書こうと思う。ファンのかたたちはあまりにも普通のこと過ぎて、その凄さを自覚していないかもしれない。だからこそ、ファンではない私だから書けるSMAPを支える、SMAPファンのかたの素敵さを紹介できればと思う。

SMAPファンのかたたちの自発的な活動

SMAPファンのかたとSNSでつながるようになって、ファンってこういう活動をしているのかと何もかもが目新しい発見だった。その個人での行動を洗い出してみる。想像の範囲で誤解もあるかもしれないので、そこはご容赦いただきたい。

・出演番組の視聴(テレビ、ラジオ番組、ワイドショー、ゲスト出演も含む)
・同番組の録画(そして頻繁なレコーダー機の整理)
・出演映画、お芝居の鑑賞(カメオ出演も含む)
・掲載雑誌、新聞の購入
・CD、DVD、Blu-ray Discの購入
・書籍の購入
・コンサートチケットの購入
・ファンクラブ入会
・CM商品の購買
・インターネットでの情報収集、発信
・各種イベント参加(番組協力イベント、SMAP SHOPのような期間限定ショップ)
・オフ会


とここまでは、ファンなら当然だと推測できるだろうが、私が知らなかった行動はこれ以降だ。とにかく細部にいたるまで、心配りが行き届いているのだ。また、個人ごとの活動でありながら、集団の力を感じるパワーを持った活動だ。


・関係者へのお礼活動(インターネット、公式ページ、SNS、ハガキ)
これは、どこまでが関係者か多岐に渡るが、お礼ができる場所と手段があれば、徹底してその情報を共有して、お礼をするのをいとわないのだ。
たとえば今回の騒動で、事務所にハガキを書こうという動きが起きた。ファンクラブ会員以外も書けるため、宛先住所が共有され、それも封書は読まれにくいからハガキがいいとか、宛先は「行」ではなく丁寧に「御中」にしようとか、ネガティブワードは書かずお礼にしましょうと文例も出回った。


このように、SMAPが関わるあらゆる場(番組、CMクライアントなど)の、お礼する先の住所やホームページ一覧、投稿フォームの共有がされている。お礼する一覧というリストまで出回っている。番組公式HPだけでなく、番組スタッフ、共演者など、SMAPと良好な関係を築いているほかのかたたちのTwitterリツイートして共有したり、お礼コメントを積極的にしている。また、誰々さんがこんないい発言をしてくれていたと、話題にもひんぱんにのぼる。二次的な効果として、共演者のCDを応援したり、お芝居やライブに足を運ぶかたもいる。SMAPのメンバーと仲がいいひとは、SMAPと同じような気持ちで好感を持って応援していく波及効果がある。


私自身、積極的にSNSで拡散したり、いいねボタンを押したり、コメントをするほうではない。インターネット上で匿名で閲覧するサービス利用者はそういうものだと思っていたが、ファンのかたたちの一部は違うのだと思った。その一手間を惜しまないのだ。いいねボタンを押すことには一秒もかからない。失うものもないのに、意外とその一つをしなかったりする。が、SMAPを応援してくれてありがとうの気持ちをファンは形にする。そのために行動をするのだ。私もそうやって、「書いてくれてありがとう」と、こんなにありがとうと連続して言われたことがないというくらいコメントをいただき、「ありがとうを言ってくれて、こちらこそありがとうです」という気持ちにしてもらった。無言でいいと思われているよりも、声を上げて良かったよと言ってもらうことが、こんなに気分がいいことなのだとわかった。


ちょっとしたことだけど、人が手を抜いてわざわざ行動しないようなことも、草の根活動、ファンとしての役割として手間を惜しまないところは、本当に素晴らしい。といっても、他者に強要まではしない。あくまで、まずは自分からを淡々と実行しているのだ。誰かが場に参加しないことにも、特に何も言わない。誰も強制する人もいない。でも、アクションを起こしたひとが「この番組が面白かったです」「このCM起用をありがとうございます」とさらにコメントを流すことによって、行動を踏みとどまっていたひとの背を軽く押すこともある。SMAPを応援するファンとして、自分の一アクションが何かにつながると信じている。何もしないより、何かしたほうがいいと信じている。自分の一通の投稿の小ささに影響力がないと思うではなく、自分の一通の小さな投稿が確実に何かを変える一歩になると思っている。その、あきらめない度合い、一通に願いを託す度合い、そこがもはやSMAPが他人事ではなくなっているのだ。


たとえる次元が違うかもしれないが、選挙に行くとき本心から自分の一票が日本を動かすと思えているかと言えば、私自身はそれは持っていない。投票権を行使している感覚はあるが、それが清き一票として何かに役立っている実感は持てない。が、SMAPのファンのアクションは諦念を感じないのだ。何もしないよりは、何かをするという確固たる意志を持ち、自発的に行っているゆえに、何か未来が変わるのではと思わせてくれるのだ。小さいアクションが大きな束となって、何かができるというのは、誰かのつぶやきから始まったCD購買活動がその最たるものだろう。


この一人一人の発信する行動の力は、いい情報のときはお祭りのような華やかさがある。たとえばそれは、2015年12月31日にSMAP SHOPに、中居さんと木村さんが同時来店したというのは、ほぼリアルタイムで情報を見ていたが、本当に何が起こったのかというくらいのファンの衝撃度合に、タイムラインが揺れてさえみえた。対して、ネガティブな新聞記事などのときは、悲嘆あるいはときにネガティブコメントもわきあがるが、そこは、なかには、それを間接的にやめようよという方がいたり、場を大喜利のような空気や笑える話題で浄化しようとする人、前向きな発言で場を励ます人までが現れる。ネット上でほとんど会ったことのないかた同士、こうして同じSMAPファンという立場でいるというだけで、場の空気を共有したり、場を癒したり、活気づけたり、笑いに持ち込んだり、リアルな空間と何ら変わりのない集団の場のマナーやルールがそこに存在する。


おそらくインターネット上で積極的な発信者や行動者になっているのは、パレートの法則でいうところの、ファンの2割で、残り8割を牽引している構造に近いと思う。特にTwitterまでをやっているかたはごく一部だろう。でもその2割のかたたちの母数が圧倒的に多いSMAPというグループならではの、行動するファンの頭数の多さというのも感じる。きっと直近の報道以前は、この2:8の法則でひとは行動していた気がするが、報道以降は「普段はつぶやかないんですが、こう思います」「ツイを見てこういう行動をしました」と、ファンだけでなくファン以外のかたの心を動かすところまで発展していったのは、報道後に巻き起こった良い活動の波動を見れば明らかだろう。

組織化したSMAPと、組織員となったファン


次に、組織らしいと思う要素について挙げたい。あくまでインターネット上を中心にした感想であるが、SMAPファンをSMAPという組織と思う要因はいくつもある。実際には、何か名称がついた組織があるわけではない。インターネット上で、組織のように求心力を持って「SMAPを支える」活動をしているが、何にどう参加するか、どれくらい参加するかは自発性に任せられている。マネジメントする人もいないし、拘束力がないため、気持ちだけ、共感だけでファン同士はつながっている。


そのつながりの絆をSNS上で公開して、賛同者を得て大きな絆として表面化するものあれば、インターネット上で情報を得るだけで、そっと一人でSMAPのCDや、CM出演している商品を購入するかたもいるだろう。そこに影響をされる人の層はファンクラブ会員かどうかすら関係ない。SMAPを応援したい、実は潜在的なファンだったというかた、とにかくSMAPがいない状況なんて信じたくないというかた、どんな感情でもいいがSMAPを気になると思っているかたの心を動かす力となっている。


組織のようだと思う理由は、ファン同士(あるいはファンと表明していないかたでも)に見える、「目標と行動の共有」「宣伝、普及活動」「個人のモチベーションの維持、ファンとしてのプライド」にある。一つずつ触れていきたい。


「目標と行動指針の共有」
・キャッチフレーズによる目標の共有
ファンは、組織として一丸となってトップを信頼してついていく、その精神のありかたが浸透している。これは、組織における社訓や社是、行動指針のようなものだ。ちなみに実際には、社訓のようなものは当然ない。では、それは何かというと、中居さんや木村さんが発した言葉を中心に、状況に応じて稲垣さん、草なぎさん、香取さんの言葉を引用して、ファンはそのときどきの自分の心の支えとする。ファンは、一人ひとり違った理由やきっかけでSMAPファンになっているはずだが、今回のような非常時は、同じキーワードをつぶやく人が多い。誰もこれが今のキャッチフレーズですなんて言わない。でも、自然とそれがキャッチフレーズとなっている。


それが、中居さんがラジオで話した「今年は踏ん張る年にする」や、木村さんが「信じてついてきてほしい」という言葉だ。これも、今時点の合言葉のようなものであり、今後もまた状況によって、過去の言葉が引用されたり、他のメンバーに光が当たることもあると思う。このメンバーの言葉の求心力は、どんな政治家や、コピーライターにも書けないような圧倒的な力を持っているのは確かだ。また、どんな状況でメンバーの発された言葉なのかという背景がダイレクトにわかっているものほど、その言葉に含まれた意味もファンは深く深くくみ取る。どんなに短文だって、真意をファンは理解しようとして、サブキャッチコピーなんていらない恐るべき浸透度なのだ。ファンは、不安な状況にメンバーの言葉を支えに行動を駆り立てられ、弱くなりがちな気持ちを鼓舞している部分があるのだろう。支えとなる言葉、信じると言う気持ちは、それだけ尊いことなのだと思った。


・行動規範、行動指針の箇条書き
非常時だからなのかもしれないが、自発的なルール提案、マニュアルのようなリスト、数値化情報の整理など、まるで会社さながら情報共有がされていることに驚く。誰かがタスクとして割り振っているのではなく、各自ができることを行い、賛同者がどんどん共有をしているのだ。たとえば、いまファンがすべきTODOリスト、CDの購入優先順位付け(トリプルミリオン狙いの「世界に一つだけの花」、ミリオン間近の「SHAKE」、会見以降は「華麗なる逆襲」)など具体的な数字や、オリコン加盟店で購入をとか、オリコンチャートの集計範囲はいつということなど目先の情報をわかりやすく数値で表しているかたもいる。


また、先にふれたようなお礼すべき人の関係者リスト、こういうお礼をしたらこういう返事が返ってきたという文章の抜粋もあがっていて、さらにこういう応援の切り口でいくほうがいいという戦略とか、さまざまな提案がインターネット上で自由に行われている。CDの購入が金銭的に無理ならば、ハガキ一枚でもいいし無料の投稿フォームで意見を書くでもいいと、お金を使える方はお金を使い、時間が使えるかたは時間を使いましょう、とにかくできることを何かという提案もされている。


「宣伝、啓蒙活動」
上記でも書いたがネット活動を中心に、ファンは日常的にリアルタイムでのSMAP活動を書いていて、スケジュールをまとめているかたも多い。もともと啓蒙活動はしているが、今回なにが違うかというと、いわゆるファンだけがわかる内輪の用語を、一般層にもわかるようにきちんと全部書こうという動きが起きたことだ。たとえば、「世界に一つだけの花」は、世界とか、花とか省略されていたが、それもすべてタイトルがわかるようにしようと定着しつつある。こういうたった一つこことでも、ファンは工夫して教えあう。そして、一般層にきちんとSMAPを理解してもらおうと工夫をするのだ。これだって、一手間を書ける労力を惜しまないファンの愛なのだと思った。ファン以外にもSMAPを理解してもらい広めようという気持ちに手を抜かないのだ。


「個人のモチベーション維持、プライド」
ファンのかたたちは常日頃、SMAPに恥をかかせないようなファンであろうとマナーの良さを心がけている。ネット上の文面にもそういう、SMAPファンとして恥じないようにという書き込みもされているし、パラ駅伝に行った際にも主役はサポーターであるSMAPではなく、あくまで競技者であるという場の空気にも感じた。また私に対してコメントを下さるかたも丁寧なかたが多く、リアルにお会いしても、きっと人として素晴らしいのだと思わせてくれるようなかたが多いのだ。それはひとえにSMAPファンであるご自分を誇りに持ち、組織員の一人としてSMAPの名前を汚さないような心がけで保たれているのだ。そこが凄い。


当然ファンは、従業員でもなく対価をもらっていない。社員マニュアルが配られているわけでもない。本当に一人一人の気持ちだけが、SMAPを支えている一員なのだというよりどころとなっていて、社会人として尊敬できる姿勢のかたが多いと私は思うのだ。失礼な言いかたを承知で書くと、ファンはSMAPへの投資額が大きければ偉いわけでもなく、誰かと愛情を横並びで図るようなものでもない。ファンでいることの気持ちの重さによって対価があるものでもない。また、いつファンを辞めたって誰にも迷惑をかけない。それでも、ファンはファンであり続ける。さまざまな状況になってもファンはより強固にその絆を強め、信じる気持ちを忘れないで粛々とファンであり続けるのだ。SMAPという組織員の一員として、自分自身の人生のリンクさせるかのように、SMAPのあらゆる出来事が歴史の一ページのなかに刻まれている。


細かいことを挙げればもっとあるだろうが、今日はいったんここまでとする。なお、私は過剰なほめ言葉として、SMAPファンを持ち上げるのではなく、組織は構成する組織員の気持ちが一つになってこそうまくいく、というのをファンのかたから学ぶことが多いのだ。人は何かを一万時間学べば、その道のプロになれると「天才! 成功する人々の法則」(マルコム・グラッドウェル著、勝間 和代訳)では書かれているが、ファン歴20年のかたは、情報収集や普及活動などファンであることに使った時間だって、それに匹敵すると思い、ファンとしてのプロだともいえるだろう。これは決して茶化しではなく、それだけ長年、無償の愛を注ぎ続けられるSMAPという対象に出会えて、本当に良かったという気持ちも込めた、私の敬意である。だから、お金を消費するより時間と言う取り返せない大事な財産を、ファンのかたはSMAPのためにつかってきた。たとえ社員証をもたない立場であっても、ファンを含めてSMAPという存在なんだというのは、私がこの4か月をかけてわかったことだ。


私は自分の職歴をこのブログで明文化していないが、今日は話題上必要だと思うので少し触れておく。これまで、私は複数転職をしてきて、1000名規模以上の会社に複数在籍し、世界展開する巨大グループにもいた。小規模の会社経験もある。仕事として一番多かったのは、新規事業や新サービスの立ち上げへの関わりで、組織というものにどっぷり浸りきってきた。転職や組織変動に伴う、仕事の場で出会った人との別れに関しては、感情より合理的に考えるほうだった。新しく何かが生まれ、時に壊れるというのに慣れ切っている部分があり、それほど心が揺らがない耐性があると思っていた。だから、今回のSMAPの報道ももう少し冷静に見られるかと思ったら、そうではなかったのだ。気持ちが揺さぶられるのだ。


最近でこそ、ブログでエンタメ話題を書いているが、過去には、経済学部を卒業したことから経済やマーケティング、組織人事論の書籍も好んで読んでレビューしてきている。ビジネス書、実用書の類も好んで読む。だから、エンタメ系のファンのかたたちとは相容れないものがあると思っていた。ファンとは、タレントさんの輝きの部分だけを受け取り、もっとのんきで楽しいだけのものかと思った。でも、今は違う。いいときも悪い時も、SMAPという歴史の一部をリアルタイムで支えていけるのが、本物のファンだということがわかった。そして、おそらく大半が組織論をビジネス書で読むような層ではないかたたちが、自発的に起こす行動、その感性に突き動かされた行動という現場感を体感したことによって、トップダウンで人は動くのではなく、ボトムアップで自発性を持った行動こそが組織の土台になるのだと驚いている。


ファンの存在は、SMAPの外部にいるエンタメというサービスを受け取ったり、何かを購買して消費するだけの存在ではなく、SMAPを一番末端を支えてくれるスタッフなんだと思うようになった。組織の当事者そのものの意識の高さを感じることが折々にあるのだ。賃金という対価がなくとも、人はここまで動くのかと目を見張る。それはなぜだろうと考えたら、SMAPというグループの成長を支えたいというのもあるだろうが、SMAPに生きる支えとなるものをもらっているのだから、自分たちも何か返していきたいという無償の愛だ。評価や見返りや成果の期待はそこには微塵もない。


マーケティングの本は読むが現場にいかないかたや、データ分析ばかりしているかたは、ファンのかたと実際にSNSでつながってみるのが一番いいと正直思う。SMAPファンに限ったことばかりではないと思うが、20年以上ファンをしているという母数の多いグループのファン心理は、「ファンってこういうもの」という先入観とは全く違う。ファン歴が長いのが偉いという意味ではなく、同じ存在をずっと支え続けるSMAPのファンをやっているかたたち、オーバーではなくSMAPがいない世の中なんて信じられないというのは、そういう深さでSMAPと関わってきたのだから本気なのだと思う。自分の人生とともに、SMAPがあるのだ。というより人生にとって不可欠なものなのだ。


SMAPを支え続ける、SMAPメンバーの目にはなかなか届かないだろう、無欲で無心なその行動一つ一つに私は目を見張り、ファンとして生きる姿の美しさに涙すら出てくる。自分が一方的に鑑賞して好きだからファンなのではなくて、SMAPを応援したいからファンなんだと、ファンからすると当然だけどまったく知らなかった感情と行動を教わってきた。


私にとってSMAPを言葉で表現するということは、もうファンのかたたちの気持ちを無視してはできないことになっている。SMAPという単語を使った時点で、もうそれは、ファンを含めたSMAPという組織員のかたすべてに向けたものだと覚悟すら持っている。


自分の人生の一部を失わないために、ファンはSMAPという組織の当事者として不安と戦っている。私はファンも含めて、SMAPを応援したいと思う。私もSMAPというバスに乗り込んだ一員なのかもしれない。もしかしたら、ほんのいっとき同乗している存在かもしれないが、解散危機報道前から偶然にもファンとかたが身近となり、この時期、なんとなくバスに片足だけ乗り込んだ一員のように、この話題を気持ちを込めて書くような自分になるとはよもや思わなかった。私に、バスがガス欠になったときファンのかたの愛情のように、押す力があるのかはわからない。でも、バスを押そうと必死になっている人の、汗や涙は時にぬぐえるかもしれないと思って、今日のブログを書いた。


SMAPという美しき存在は、ファンという美しき無償の愛を注ぐ存在とともに、ひとつの組織として、永遠であってほしいと思う。


【コラボブログ:SMAPとココカラ】を始めるにあたり

この企画は、SMAP解散報道以前から二人で温めていた。奇しくも、解散報道によって実現が加速したのは事実だ。


凪さんの「剛 しっかりしなさい!」を、少しご紹介しておきたい。私が紹介するまでもない人気ブログだが、ファン歴20年弱の凪さんの、独自性がある記事の作りになっている。過去の映像や記事を忠実に書き起こし、そこに所感を加えたブログだが、ご自身のカラーを出すというよりSMAPという存在を記録し続ける黒子に徹したブログだ。また、多くのブログ主さんと異彩を放つのが、リアルタイム性のある話題でも時系列でもなく、ランダムに過去の掘り起こしを中心にされている。私も2年近く、一読者と愛読していた。


偶然、私がブログで草なぎさんやSMAPさんの話題を書き始めた頃、Twitterで連絡をいただき、ダイレクトメッセージで話すうちに、そのブログ主さんと知り、声をかけていただいたことに驚いた。私は、再三ここで自分の立ち位置を書いているが、SMAPファンではない。ただ、SMAPを尊敬する思いだけでずっと観ていて、ブログで文章の形にしたのはわずか4か月、今日を含めて49記事しか書いていない。


コラボブログの話は、知り合ってすぐにお互いから自然とわいていた。全くブログテイストも立ち位置も異なる二人でありながら、なぜそう思ったのかというと、二人にはわずかだが共通点があった。それは、ブログがあるということ、長文を書くのをいとわないということ、過去もふくめて記録したいという気持ちだ。特に、このブログという場を持ち、長文をいとわないということは、保存性や一つのテーマでまとまった思考を深めるのに適していると思った。だから、双方のブログでときどき一緒になってSMAPを記録し続けようと思ったのだ。今、Twitterでも良質な情報はたくさん入る。短文のコンパクトさのメリットもある。だが、どんどん流れてリツイートされる委ねられている状況を考えていると、なにかまとまった場を自分たちは作ろうと思った。


凪さんと私は、ブログという場ならではできることを模索している。このコラボブログに正解の形はない。私と凪さんも、個人的にSMAPを思う気持ちは全く違う。でもその違いを認め合い、「SMAPとココカラ」をテーマに双方、生活に支障がない範囲で書いていこうと思う。なお、もともとの個人ブログもはさむため、お互いを縛りあわず、同じような話題を書きたいときだけバトン交換をすることにしている。凪さんは会見直前に記事をあげてくれたが、私は会見後の気持ちの動揺から、あやうくバトンを渡せない状況になった。でも、どんなにささいなことでもいいから、言葉にしていくのだと、私から、「剛 しっかりしなさい!」のブログ運営者である、凪(なぎ)さんに再びバトンを渡す。


では、また。