草なぎ剛さんの「はじめに」の言葉

こんにちは、検索迷子です。


草なぎさんの言葉について、ずっと書いてみたいと思っていた。
といっても、草なぎさんのどこかでお話をされた言葉ではなく、
書籍化されたものについてだ。


再三ブログで書いている通り、
私は、生粋の草なぎさんファンでもなく、
何かを購入することもなく、スマスマとドラマ以外は視聴していない。
だから、今時点のものではなく、
過去に読んだものから少し感想を書きたい。


これまで、草なぎさんの身体能力などを書いてきたが、
実は、書籍のことを書くのは一番抵抗があったのだ。


最近になってブログでやっと言葉にしているが、
ドラマは初主演作の『いいひと。』から時間が許す限り、
ほぼすべてを観てきたし、
書籍化されたものは発売時点で読んでいた。
映画もほとんどを観ているし、
ドリパスでの再演にも三回足を運んだ。
実はこれほど熱心に活躍を観ているのは草なぎさんだけなのだ。


どうして『いいひと。』から観ているかは、
高橋しん『いいひと。』の限定配信でも触れたが、
原案者が知人であり、草なぎさんとドラマ撮影段階で
対面しているということで親近感を増したことがきっかけだった。


草なぎさんのことはこれまで書かなかったが、
漠然とずっと気になっていたのは確かで、
でもそれを言葉にする勇気が持てたのは、本当にこの二か月だ。


それで、今日の本題の書籍の話に戻ろうと思う。


検索迷子はもともと、本のレビューをかなりしてきている。
ブログは意図的にカテゴライズをしてこなかったので、
その記事自体はどこにあるのかがわかりにくいが、
過去には割と硬めのビジネス書も含め書いている。
いっときは、ブログを書評専門に切り替えようかとも思っていた。


でも、草なぎさんの本のレビューが発売当時の読了時、
どうしてもできなかった。
理由は二つあって、
一つは、アイドルのかたの本を、
およそアイドルのかたへの理解が乏しい自分が、
レビューをしていいものかという迷いがあった。


今もその気持ちはなくもないが、
リスペクトの気持ちがあるからこそ取り上げるので、
その素晴らしきものを伝えたい気持ちと誠意があれば、
書けそうな気がしてきた。
それはこの二か月で自分自身にも免疫がついたと思う。


もう一つは、本当にご本人が書かれているのか、
書籍から判断しにくいということがあった。
だから、草なぎさんの名前で出された本でも、
ライターさんの言葉で編集されているのか、
本の奥付からわかりにくいものは、
草なぎさんの語った言葉であっても、
書き言葉ではないのではないかと思っていた。


これは、草なぎさんに限らずだが、
自分自身がほかのかたの原稿の手直しをしたり、
取材をしたり、代理で書いたりという経験があるので、
本当の著者なのか、そうでないのかは大きな違いがある。


聞き書きと、ご本人が直接書くことは、
ファンのかたからすると大きくなくても、
自分としては、草なぎさんの語彙なのか、
ライターさんの語彙なのかという違いはかなりあるのだ。


検索迷子では、二次情報(他者からの間接情報)からの
引用は基本的にはしない。
かならず現物を見て、一次情報から書いている。
自分の目で確かめたものしか取り上げない。


ましてやネットで発信元が匿名だったり、
原稿を書いたひとがわからないものからは引用しない。
ちょっと硬い話を書くと、
何を根拠にこんなことを書くのですかと言われたら、
いつでも責任をもって答えられることだけに留めようと
思っているからだ。


と、毎回、前提の語りが多くなるのは、
ここまで慎重に書きながら、でも心証を悪くしたら、
それは、悪意ではないということをお伝えしたくてだ。


また脱線したが、
いま手元に草なぎさんの書籍を数冊置きながら、
再読しつつ、ちょっと考えていた。
ライターさんのお名前がある書籍もあるが、
草なぎさんが今でも語っていそうと思ったものを、
取り上げようと思う。


ご本人が書かれているかという事実も自分には大事だが、
好感を持ったという感想を書くうえで、
今回は支障はないと思ったので取り上げる。


今日取り上げるのは、草なぎさんの書籍だが、
本そのものの中身ではない。
だから、ブログのタイトルに書名を入れていない。


草なぎさんの書籍を読んで以前から思っていたことがある。
それは、「はじめに」や「あとがき」が、
なんて印象深いのだろうということだ。


もちろん本文のほうもいいのだが、
「はじめに」や「あとがき」には、本文にないものがある。
それは、大量の文章と向き合ってきた結果、
それがまとまって一冊の本になる実感からくる思いだ。


「はじめに」や「あとがき」は、
たいていは、ほぼ書籍化の工程が進んだ後半、
仕上がりが見えた段階で書くものだ。
そこで、達成感からくる一種の解放感とか、
個別だった原稿を再度俯瞰をして、
総括的な思いが書かれることが多い。


そして、草なぎさんの書籍は、
その「はじめに」や「あとがき」が誠実で、
力も程よく抜けていて、読んでいて心地よいのだ。
言葉の選び方も力みがなくて、
でも、ああ、こういう考え方をされるのかとはっとするのだ。


その言葉をご紹介します。
『クサナギロン』草なぎ剛さん著、集英社2008年5月刊からの引用だ。

クサナギロン

クサナギロン

はじめに


 僕は決して器用なほうではないし、これまでもずいぶん回り道をしながら歩いてきたと思います。もちろん、いろいろ迷ったこともあるけれど、そう間違った歩き方ではなかったのかな、と思っています。
 そして今、ここにいる僕は、とても幸せです。だから、もしこの本が幸せを求めて少し迷っている人たちへのちょっとしたヒントや力添えみたいなものになれば、とてもうれしい。


草なぎさんのこの言葉は、シンプルな美しさがある。
謙虚さと内省と、その先にたどりついた前向きな姿勢。
そして、幸せと言い切れる潔さ。
そのうえに、読み手に対する思いやりにあふれ、
うれしい、と素直な言葉で書いている。


特に、「うれしい」という言葉を書ける、
その清らかな心が伝わってくるのだ。


自分自身、文章を書くトレーニングを受けたこともあり、
その際に、「うれしい」とか「たのしい」をそのまま書くのは、
大人がやってはいけないと言われたことがある。


感情そのままの定型句を使うのは、
あまりにもボキャブラリーがなく幼稚すぎると言われたのだ。
でも、私は「うれしい」は「うれしい」と書きたいし、
むしろ、そう書ける大人でありたいと思っている。


この草なぎさんの「とてもうれしい」という言葉は、
シンプルにダイレクトに響くのだ。
無駄な装飾がなく、やさしくやわらかな言葉で、
でも、相手の心にしっかり届く言葉をつかえるひとだと、
草なぎさんのこの「はじめに」を読んで感じたのだ。


本書の中身については、また機会があれば触れたいと思う。


たぶん、自分が過去にレビューをしてきて、
「はじめに」だけでこんなに語ったのは初めてだと思う。
それくらい、草なぎさんの言葉を選ぶ感性は、
澄んだ心から生まれて、押しつけがましくなく、
そっとこちらの心まで入り込んでくるのだと思う。


では、また。