こんにちは、検索迷子です。
どんな状況でも意見が言えたり、
主張ができたり、
議論に参加できることが、
熱意や積極性の表現かと思っていた。
でも、ふと、
相手が自分から意見を聞きたいと、
意見を請われたり、傾聴されないものは、
相手には届かない話なのかなと、
だんだん言葉を飲み込む機会が増えた。
自分が自分がと話していたわけではないが、
場によって、強めの意見は不要だったり、
役職者を立てなければならなかったり、
むしろ寡黙であることを、
暗に要求されたりする。
それを知りつつ、
正しいものは正しいと意見を言いたい時期があった。
でも、相手に聞こうとするフレームがないとき、
どんな的確な指摘も、空中に離散するだけだ。
柔らかい言い方をしたとしても、
発言とはやはり、自己主張なのだと思う。
自己主張という自覚がなくても、
言葉を割り込ませる、
相手の思考回路をかき乱すことは、
望まれない限りは控えるものなのだと、
つくづく思う。
本当に実力があるなら、
いつか話題の核心に行き、
物事の中心人物になる。
自分から、はいはいはい、と手を挙げなくても、
自然と中心に引っ張りこまれるのは、
自己主張する人ではなく、
一歩引いた人だ。
出世という意味ではなく、
これは主張したり、説得したいというものを、
際立たせていくためには、
自己主張を乱発しないことかもと思う。
自己主張をやめてみることで、
開けるものを、少し体感しようかと思う。
では、また。