読まれてみて初めてわかること

こんにちは、検索迷子です。


ブログをなぜ続けているのかと考えたら、
自分が気がつかなかった自分というものを、
読み手のかたの反応で気づくということがある。


こういう検索キーワードでたどり着いてくれたのか、
へぇ、なんとなく書いたことがこんなに読まれるのか、
あれ、これをそういえば何年も前に書いていたんだっけ、
アクセス解析などの反応を通して知ることが多い。


自分では、閲覧してもらうための努力というのは、
ほとんど何もしていない。
ただ、思ったことや書き残したいこと、
伝えたいことをその時々で書いている。


逆に、これは書けないだろうし、
書き手がたくさんいると思っていて避けていることはある。
それは、時事ネタだ。


よほどのことがない限り、検索迷子では時事ネタは書かない。
それは、多くの優れた書き手のなかで、
人に先んじて語れるほどの情報収集はできないし、
無責任なことを書くのをできるだけ避けたいからだ。


そして、時事ネタを書こうと思うときは、
楽観よりも批判的な視点でないと語れない話題が多く、
それゆえに主観に流れてしまうと語気が強くなる。


もう少し普遍的なもの、
何年経っても揺るがない心の動きや迷いなど、
この先ずっと廃れない話を書きたいと思う。


ということも、ブログを書いてみてわかったことだ。
三年前に書いたエントリーがずっと読まれ続けている。
書いた本人さえ、そのときの気持ちに変化があったとしても、
その記事自体はずっと生き残っている。


過去に自分が書いた言葉に、
どこかに共感してくれる人がいて、
自分すら一読者として自分の文章を読んでいたりする。
まるで他人が書いた記事のように、ふむふむと読んでいる。


誰かが反応を返してくれることによって、
今、ここがある。
その実感を持てるから、ブログが続けられる。


小さいことだけど、
誰かの人生の一瞬に役立っていると思えることは、
本当に幸せな気持ちになる。


読まれてみて初めてわかることは多い。
そして、書かない限り、その醍醐味は味わえない。


少しずつでも、
言葉を残しておこうとだから思える。


誰かがどこかでこの一行を読んでくれる。
そこに、書き続ける希望がある。


読まれることの喜びを、
続けることのモチベーションとし、
また言葉を生み出そうと思う。


立ち止まらない。


それだけで、時間はほんの少しでも動き、
空気は揺らぎ、
気がつけば、違った風景が拓けることがある。


読まれ方をときどき研究すると、
自分の文章ってなんだろうなと見直すきっかけになる。


はっきりした答えはまだ持っていない。
一つだけわかるのは、やめてはならないということ。
それは、小さくて大きな発見なのかもしれない。
読まれてみてわかった、
誰かが待ってくれているという実感。


その気持ちがあるから、今日もこうして、
なんとなく、なんとなく書いている。


では、また。