痛みをわけあう

こんにちは、検索迷子です。


少し前に、以前勤めていた会社の同僚たちと飲み会をした。
10名くらい集まったが、在職中がたった2名だった。


同じ時期に入社した人たちばかりだったが、
多くが短期間で会社を去っている。
当日、その場にいくまで、辞めたことも知らない人もいて、
ええー、あなたも、あなたも、みたいな状態となった。


それそれが、それぞれの職歴において、
最短となってしまった在籍期間を悔やみ、
それでも、今新しい場所で活路を見い出し、
再会できることとなった。


これほど痛みを分かち合える経験をした、
キャリアの違う人同士というのもめずらしいが、
おかしな一体感が生まれるほど、その会社での時間は不思議だった。


そして、驚くことに、
在職中そこでは一度も飲み会がなかったのだ。
業務中も筆談しかできないような恐怖政治で、
残業も休日出勤も多く、社内イベントごとは皆無だった。
ランチに外出することさえはばかられた。


そんななかで、お互いが退職したからこそ、
飲み会をしようという話になり、
あのころはこうだったねという昔話をすることができた。


不思議な結束感だし、
不思議な縁だと思った。


楽しい思い出をできれば共有しあいたかったけれど、
組織という枠組みのゆがみによって、
違った一体感があった。


あの時間は何だったのだろうと思う。
たぶん、一人ひとりがそう思っている。


痛みをわけあうことが、必ずしもいいとは思わないけれど、
自分の人生の汚点みたいな時間だと皆が思い、
それを乗り越えたいからこそ、こうして会っているのだと思った。


次があるのかはわからないけれど、
一度、みなと会えたことは、
自分がだめだったわけではなく、
場の空気だったのだと、
気持ちを整理し、浄化する作用があった。


ときどきなら、こういう痛みをわけあうのも必要かもしれない。
それで前に進めるのだから。


できれば、これからは楽しい話だけをしていたい。


では、また。