こんにちは、検索迷子です。
仕事で外出する機会が増えて、
これまで駅名は知っていたけれど、
降りたことにない駅をたくさん利用するようになった。
もともとそんなに行動的ではないため、
一年を通して利用する駅はごく限られたものだった。
それが今では一日のうちに何度も外出することもあり、
初めての場所にいくことも普通になってきた。
そこが始発や終点だったりすることなどまれで、
たいていは乗り換えだったり、
どこかの線の途中だったりして、
初めてのお客さんのところにいく緊張と、
交通手段を間違えてはならないと移動には二重の緊張を伴う。
時間に大幅にゆとりを持っていき、
それでも、逆方向に間違って乗ったり、
乗り換え時間が思いのほかかかるところだったりして、
遅刻はしないものの、ぎりぎりになることもある。
初めての場所だからといって、
駅そのもの、土地そのものを楽しむゆとりなどはない。
せいぜい再訪するための道順を目に焼き付ける程度だ。
初めての駅に降りてみると、
地名や土地の印象とは随分違って、開発が進んでいたり、
あるいは思いのほか静かな駅だったり、
改装されていてきれいだったり、何か思い違いをしていることもわかる。
そんな印象をなんとなく残しながら、
初めての場所であればあるほど、
また次に来るチャンスは来るのだろうかと考えたり、
今日の話はうまくいくのだろうかと思ったりする。
旅行とは違い、穏やかな心で風景を眺めることなどなく、
ひたすら今日はどう話を進めようかと考えたり、
完全に仕事モードで出かけているのが、
ときどき惜しくなるようないい場所もある。
それでも、集中が途切れないよう、
観光者目線にならないよう、あくまでも仕事できているのだと、
なんとなく言い聞かせているところもある。
初めて降り立つ駅というのは、
いつだって新鮮でわくわくすると思っていたが、
それはリラックスできているときに限るのだとわかった。
仕事で来ている場所は、
どんな駅であれ、どんな環境であれ、
通過するだけの場所に過ぎない。
目に見えるものを受け止めるというより、
必要な光景だけを焼き付けて、ひたすら歩みを進めるという感じだ。
初めて降り立つ駅は、
初めてのお客さんに出会う駅である。
そういうことを繰り返していると、
何か、常に心がざわざわするような思いで降り立っている。
何度もここに来て、
まるで通勤している駅のように、
手馴れて移動できたり、
ほんの少し寄り道できたり、駅に行き交う人を観察したり、
その土地ならではのことを理解したり、
そういうゆとりが生まれるようになりたいものだと思う。
初めて降り立つ駅を、また来れる駅にできるかどうか。
そういう思いで今は移動をしている。
好奇心を全開にして、
楽しめる心を持って、
初めての駅から始まる時間を堪能してみたいものだ。
そういう、ほどよいなじみ感を持てるようになりたいが、
それはいつくるのだろう。
では、また。