こんにちは、検索迷子です。
過去によく通った地元のお店に久しぶりに行くと、
昔よく見かけた、名前も知らない人がその頃と同じように、
いることがある。
自分も一時期頻繁に通っていたから、
相手も自分の顔は知っているかもしれない。
でも、会話は一度もしたことがなかったりする。
毎日毎日同じ時間帯に会い、
相手がどのようにそこでの時間を過ごしているのかも、
逐一わかっていたりする。
たとえば、何かの資格試験の勉強をしていて、
分厚い本を山積みにしていたりすると、
ああ、司法試験か何かを目指していて数年越しなんだなとか、
時にはいつもクロスワードパズルを解いている人もいる。
ただ、ぼんやりとしている人もいる。
あるいは、明らかに人目をはばかる間柄の人たちが、
おおっぴらにケンカをしていたりする。
そういう、過去によく見かけた人たちを、
数年の時間が経過して同じお店にいったときに、
まるで同じことをしている姿を見ると、時間感覚を失ったりする。
自分にとっては、過去の通過点のような時間が、
一気に逆回転して、あの頃の自分がよみがえるような思いがする。
過去になったものが、現在の時間にまだ存在することが不思議な感じがする。
ちょっとした他人の習慣が、自分の思い出の一部になっているなんて、
知らない人なのにへんな感覚になる。
ああ、この人は数年間も同じ時間を過ごしているのだと思うと、
ちょっとその正確なリズムが凄いと思ったり、
固定化された生活パターンが怖いような気がする。
他人の習慣を客観的に見ることなんてそうそうないけど、
いつもの時間に、いつもの場所で、
いつもと同じ行動をとることが多いことを思い知る。
時計のように、寸分狂いなく、何年こういう生活リズムなのだろうと思う。
自分自身、一年前と同じタイムテーブルで何かをするということが、
ここ数年ほとんどなくなっている。
出会う人も変わり、同じ生活リズムとか、習慣が崩れ、
そのときそのときによって、やっていることが違う。
だからこそ、リズムができた生活を送れる人を凄いとも思い、
まねできないとか、飽きないのかなと思ったりする。
平穏とも言えるし、退屈とも言える。
どっちがいいかは人それぞれだけど、自分にはそういうパターン化された生活は、
しばらく遠いのかもしれない。
久しぶりに行った場所で、
顔なじみだけど知らない人たちと、
心の中で再会をしてみて、
自分がいかに激動の数年を過ごしているのかを思い知った。
同じ顔ぶれや同じ行動の安定を求めるか、
毎日、初めて会う人たちのなかで緊張しながら過ごすか。
どうやら私は後者の道を歩きつつあるようだ。
他人の数年前を変わらぬ習慣を見ながら、
そんな自分の今の姿を見たような気がした。
では、また。