少しだけ、わらしべ長者

こんにちは、検索迷子です。


おとぎ話の、わらしべ長者をご存知の方も多いだろう。
ある一人の男が、最初に持っていた「わら」を皮切りに、
相手に乞われるままに交換をしていくと、最後に大金持ちになるというストーリーだ。


Wikipedia - わらしべ長者


こんなに景気のいい話ではないのだが、
ちょっとした不思議な幸運の連鎖があった。


その日、私はランチでよく行くお店に、
会議が伸びたため、いつもより1時間近く遅く出向いた。
店内は、ランチの混雑から解放されて、普段は、
入口で並んで待っている人も気にしながら、急いで食べたり、
ぎゅうぎゅう詰めで隣の人とひじがぶつかりそうな狭さが、
その日はゆったりと食事ができた。
それだけで、気分がよかった。


お会計をするとき、お店の人が、
そのテナントビルで開催している抽選券を大量にくれた。
何枚か集めないとだめなもので、お財布には補助券が数枚あった。
期間中に枚数がたまらないだろうなと思っていたが、
その日、くれたのは丸々1回分が引ける量だった。


そろそろ抽選締め切りが近く、余っていたのもあるかもしれないし、
そのお店では、それまで一度も得意客扱いはされたことはなく、
会話すらしたこともないのだが、この日はランチのピークが過ぎていて、
お店の人もゆとりがあった。
「いつも来ていただいてありがとうございます」と、
これで1回分ですから、引いて帰ってくださいねと言われた。
あ、私のこと覚えててくれているんだと、少し気分がよかった。


とはいえ、抽選会場はいつも混んで通路をふさいでいた。
この日も素通りするつもりが、ランチタイムのピークが終わり、
抽選会場はがらがらだった。
あらと思って、せっかくだからと抽選を引くことにした。


さっきもらった券をそのまま出して、一回だけ引いた。
私は、くじ運が悪い。ポケットティッシュをもらう気だった。
すると、鐘がからんからんと鳴った。
「おめでとうございます、商品券があたりましたよ!」と、
そのテナントで使える金券をくれた。
これだけでも、めずらしいことで嬉しくなった。


その商品券は、しばらくお財布の中で眠っていた。
交換締切日が近くなり、日ごろから気になっていた店舗にいってみた。


あれこれ物色して、いざレジの前に並んでいると、
あ、これ、あの子が好きなものだと目に飛び込んできたものがあった。
それで、急遽、自分のために買おうと思っていたものを止めて、
そっちを買って帰って、早速プレゼントした。
プレゼントを受け取った側は、大好物で大喜びだった。
その笑顔を見て、大満足だった。


そのとき、その包装紙にちょっとした間違いを見つけた。
大手メーカーではなく、小さいけれど堅実にものを作っているような
地方の会社だったので、なんだか教えてあげたい気分になった。

文字が間違ってましたよと、手紙と間違いの箇所を指摘して送った。
何も私は損をしていないため、本当にただちょっとしたおせっかいのつもりだった。


すると、今日、その会社から同じ製品と、新製品が送られてきた。
そして、心がこもった謝罪文が入っていた。
昨日、謝罪文で嬉しかったものがないと書いたが、
この謝罪文は、誠意があふれていて、じんわりと泣けそうだった。


会ったこともないし、クレームでもないのに、
本当にすいませんでした、もっといいものを作りますと、
社長の直筆のサイン入りだった。


なんだか悪いことをしてしまったと少し心が苦しくなった。
大手の会社ではないだけに、こうした負担をかけてしまったと。


それで、私はお礼状を書いた。
そのお店のいい場所においてありましたよ、いいものをまた作ってくださいね、
それから、ホームページを偶然見つけたので印刷物にいれるといいですよ、
と、自分が顧客としてできる唯一のことである、
お客様の声を最大限に出そう、伝えようと思った。



わらしべ長者ほどではないにしても、
私は数百円のランチで、これほどまで豊かな時間の連鎖を経験した。


金銭的な価値とか、お徳感ではない。
純粋に、おいしいから頻繁に通っていたら、お店にお礼をしてもらい、
いいものをつくってくれたメーカーだから、間違いを指摘したらお礼をもらえた。
そして、それは、ずっとつながっていた。


見返りを期待したことなど何もないところから、
普通に親切にしてもらえるということが、こんなにも嬉しいとは思わなかった。


とても豊かになる、幸せの連鎖です。
わらしべ長者になった彼も、相手が喜ぶならとか、
なんとなくという交換をしているうちに、無心で幸せをつかんだのかなと思いました。



余談ですが、小学校の頃、劇でわらしべ長者の主役をやりました。
演技がうまいわけではないのに、なぜか抜擢されました。
最初のわらを拾うために、ころぶ演技がなかなか大変でしたが、
大人になったら、転んでばかりです。


これも何かの連鎖でしょうか。
いい、物々交換の予兆だったのかなぁ。


幸せはどこかに、小さく落ちているのかもしれません。
無心でいるときほど、ふっとやってきてくれる。


たった一言、たった一つの行動で相手を幸せな気分にするのも、
ゆとりがあるからこそできるのでしょうね。


相手に何かをしてあげられる人でありたいものです。
それが、いつか自分に返ってこようと、こなかろうと。
無心で。わらを拾う。
拾ったわらを、楽しんで、ゆらゆら持って歩く。
きっと、いいことが来る。それだけでも。


では、また。