仕事と人格は分けて考える

こんにちは、検索迷子です。


仕事の議論が白熱したとき、
何か大きな変更があったとき、時として逆上する人に出会う。


そして、怒りとともに会議室を飛び出したり、
あるいは、個人攻撃や人格否定に走ったりとお門違いな態度にでる人もいる。


以前いた会社の人事部長が、
極端な行動を起こす人は、仕事の熱意がありあまって攻撃的になるだけで、
本当は悪くないのだけど、場の空気を乱すのはいただけない、
その両方がわかるだけに、処分を周囲に求められたとき裁定しにくいという話をしていた。


和を大切にするか、仕事が進めばそれもいたしかたないと考えるか、
それはもう、そのチームの風土によるだろう。


ただ、逆上したり、罪のない一生懸命な他者を攻撃し、
不快な気分にさせられるのは、正直いって困りものだと思う。


賢明さの表現方法の一つとはわかるけれど、
何かを傷つけたり、人を傷つけた分だけ当人も傷ついたりしても、
結局は、その仕事は個人のものではなく、会社のものでしかない。


会社のものに一時的に関わる自分という存在を、
仕事と同化させるあまりに、悲劇は起こる。


冷めているのではなく、どこか一歩引いていないと、
人と人との関係では、言ってはいけない一言まで踏み込んで切り付け合ってしまう。


そこまでして、いい仕事ができるだろうか。
そこまでするほどに、その仕事はその人のものだろうか。


辞めてしまえば、次の日からはまた誰かがたんたんと進める仕事なのだと思うと、
今いる自分の立ち位置で、行き過ぎないことも必要なのだと思う。


夢中と罵声の境目は本当はないかもしれない。
でも、間違えてはならないこともある。
他者にやつあたりしたところで、自分の人格が穢れるだけなのだと思う。
個人を責めたり、個人的にぶちきれたりしたところで、
さて、誰が幸せになるだろう?


と、思わされる一日だった。


では、また。