こんにちは、検索迷子です。
転職してみて、意外な発見をした。
Webサービスを取り巻く技術用語や、サイトの作り方、
Webサービスの世の中の潮流など、よほど先進的なことでない限り、
基本的なことで、わからないことがほぼなくなっていると気がついた。
数年のブランクを経て、Webサービスの作り手に返り咲いてみて、
何もわからないのではないかと不安があった。
ところが、驚くほどに話の内容が「わかる」のだ。
むしろ、今いる場所では他の人よりも知っていることもある。
技術用語がわかるので、どんな話題でも一気に核心まで理解できて、
新しいサービスのために何が必要なのか、
どんなことを取り入れたらいいのか、提案することができる。
他社サービスでやっている事例も浮かぶ。
メジャーなサイトは大半、知っている。
これまで、私は、技術用語がわからないコンプレックスがあった。
なのに、なぜ、いきなり聞き取れるようになり、
応用できるようになったのかと不思議だった。
まるで、いきなり英語がきちんと言葉として聞き取れていたときのような、
ある日突然分かるようになったみたいな驚きがあった。
なぜだろうと考えてみたら、前職の経験によるものだった。
技術者中心の会社で、入社初日から何の会話をしているのかまるでわからなかった。
わからない人の気持ちを汲むことが苦手な人が多く、
わからないという私が理解できないとさえ言われた。
教える努力をしてくれる人はなく、覚えることを強いられた。
それまで私は、技術的なことがとても苦手で、
餅は餅屋だと、それでよしと思っている部分があった。
大きな組織にいて分業化が進んでいたため、
こんな感じで作ってといえば、作ってくれる優秀な人に恵まれてきた。
ところが、こんな感じで作ってといっても、
それを理解できない人が多く、望む結果に仕事は仕上がらない経験をすることになった。
あまりにも感覚的な言葉で伝えても、伝わらないことが多く、
技術者と仕事をするのが苦痛にすらなってきた。
自分が描くサービスのゴールを伝えていても、
その実現する手法を技術用語でまくしたてられると、
それがいいのか悪いのか判断ができず、微妙な齟齬を上手く伝えきれず、
仕事を依頼したり、形にしてもらうのに苦戦してきた。
感覚的にふわっと伝えることばかりしてきたせいなのは、わかっていた。
感覚的な言葉で伝えても実現してくれる、優秀なスタッフに恵まれてきたことに甘んじ、
私自身が技術的なことを理解する歩み寄りが足りないとわかった。
努力不足を痛感し、そこから猛勉強を始めた。
その会社にいる間、ランチタイムはずっと勉強時間だった。
就業後も土日もひたすらインターネットの用語や、
Webサービスの理解に努めて、資格試験もいくつかとった。
膨大な時間をWebサイトを見ることに費やした。
そういうことを継続して続けるうちに、他の人よりもわかってきたかも、
と思う瞬間があった。
でも、まだまだ技術的なことに自分は疎いと思っていた。
技術者が多い会社で、表面的な知識を得ても失笑を買うばかりだった。
残念ながら、その会社の仕事を上手くやっていくために、
改善していくために努力したその時間や知識は、その会社ではまるで役に立たなかった。
なぜなら、新しい意見を遮断するような風潮で、
プログラムを書かない自分が言う、アイディアを聞く耳を持ってもらえなかった。
こんなに勉強してもだめなのかと落ち込むことが多かった。
それでも、勉強をやめずに続けていた。
いろんなサイトを見て、いろんな本を読んで知識をこつこつためていた。
この会社では役立たない、無知な扱いをされているけれど、
絶対に、勉強した時間に意味は生まれるはずだと思った。
それは、今は使い道がなくても、
ひとえに、いつかWebサービスの作り手に返り咲きたい、
いつでも走り出せるように、今の時間を無駄にせずにいたいという気持ちだった。
転職の際の面接では、
実際に取得した資格を履歴書で見た人から、努力家ですねと言われ、
どれくらいの知識があるかとアピールに成功した。
何よりも、実際に新しいサービスの準備をする今、
技術者と対等に専門用語を使えるようになり、議論をするうえで、
それって何のことですかと会話をさえぎることもなく、
むしろ他人に教えてあげられることすら出てきた。
プログラムは書けなくても、技術用語がわかるだけで、
技術者とここまで近づけるのかと思えるようになった。
辞めた会社では宝の持ち腐れと思ったことが、
今の自分のために最大限の力を発揮してくれている。
業務そのものに退屈して、勉強するのが日々の中心で、
勉強することだけに没頭していたこともある。
やけになるくらい勉強していた。
きっかけがどうであれ、体系的に学んできて、本当に良かったと思っている。
基礎力がついただけで、一気に視界が開けて、どんな仕事でも、
初対面の技術者でも、あっというまに話ができる。
優秀な技術者に恵まれることも大切な時間でしたが、
プランナーの聞き取りが下手な人と働くことによって、
自分は成長させてもらえたと思うと、
肌が合わないと思っていたけど、自分で学ぶ必要性に気づかせてもらえた。
腐って、あきらめるだけでなく、未来に向けて勉強してよかったと思う。
過去にWebサービスを手掛けたときは、何の用語もわからなかった。
自社や他社の機能をみて、これと同じことやりたいと言うだけで、
機能を実装してもらえた。その用語すら知らなかった。
今は、何機能なのかを伝えられる自分になっている。
用語がわかるだけで、技術者と共通項が生まれ、圧倒的に仕事がしやすくなった。
無駄だと思っていた時間でも、未来に向かって使い方を誤らなければ、
どんな時間にも意味がある。
どんな時間にも意味が生まれるように、
前向きに何かを取り組もうと自分の経験から学んだ。
技術用語がまるでわからず嫌気がさしたこともある。
でも、とにかく目が覚えるまで用語を丸暗記することから始めた日々が懐かしい。
あきらめなくて、未来を見据えて行動してよかったと思う。
自分がものづくりの当事者として、
お客様に満足してもらうためには、誰かに協力を仰がなければならないと思った。
私一人の思いだけでは実現できないジレンマがあり、
作る手を持っている人に、
作ってくれる人に伝えるために用語を覚えようと思った。
思いの実現のためにやれることを今やるだけ。
どんな時間にも意味がある。
文句を言ってるより、スキルアップのために時間を使える自分でありたいと、
そこから私は変われたような気がします。
何よりも、あのとき、勉強してくれた過去の私に、
今の私が一番感謝している。
今は体系的に学ぶ時間すらとれず、いますぐ実践する必要があるため、
退屈なとき、意欲がもてない仕事のときに、学んでいて良かったと思います。
あのとき、いい仕事に出会えなかったのは、
今の自分のための学習時間、助走時間だったのではと思えるくらい、
学びなさいと時間がたっぷり与えられたのかもしれません。
文句を言うより、テキスト一ページを読む日々に、
遊びほうけてなくて、あきらめなくて良かったと思います。
では、また。