お別れの挨拶ができる喜び

こんにちは、検索迷子です。


昨日、検索迷子の一日のアクセス数は、700回を越えた。
3月になると、圧倒的に過去の記事が読まれる。


それが、お別れの挨拶を綴った一連のエントリーだ。
お別れの挨拶に聞きたい言葉 - 検索迷子
お別れの挨拶を言えますか。 - 検索迷子
さよならより、ありがとうを - 検索迷子
さよならなんてだいきらい - 検索迷子


過去に、本当に何気なく書いた記事が、
ずっとずっと読まれている。


こういう内容で、本当に満足されているのかはわからない。
でも3年以上も読まれ続けている文章のため、
内容がどうであろうと、
お別れの挨拶を探している人たちの検索キーワードに、
のきなみヒットして、
検索上位にあがっているのは事実なのだ。


仕掛けたわけでもなく、
いつのまにか気づいたらこうなっていた。
ありがたい反面、あなたのお役に立ててる?と心配になる。


でも、それだけ、
転職や、退職や、卒業や、何かの環境変化などで、
ほんの少しあらたまって挨拶をするための例文というのは、
なかなかないのかもしれないと思った。


死別ではない。
スピーチでもない。
世の中にある文例集では重たすぎる。
ましてや、メールや口語では、かしこまりすぎてしまう。


私たちはもう少し、
大事な日ではあるけど少し気軽に、
それでも感謝もしっかり伝えたい、
ほんの少しだけ相手の心に残るいい話もしたい、
だけど、自分の言葉じゃうまくまとまらない、
そういう気持ちで、お別れの挨拶をしたいのだと思う。


一生のお別れじゃないと思うけど、
当面しばらく会わないということは今は確かな事実。
だから、それなりに少しきちんと挨拶をしたい。
またね、ばいばい、だけでは軽すぎる。
お世話になりましただけだとそっけない気もする。


じゃあ、どうするか。


相手の笑顔が見られそうな言葉を選ぶ、
自分が言われて嬉しかったことを話す。
歌詞とか、格言とか、泣ける言葉を持ってくる。


どれもありだと思うけれど、
私は、その言葉を口にしようとしたとき、
引っかかって単語が出てこない言葉よりも、
自分が普段使っている言葉で、
自分の気持ちを素直に話すのが一番心に残ると思う。


挨拶をする前日に、
一人で原稿を持たずに声に出して練習するといいかもしれない。
なんという単語が自分の口から出てくるか、
どんな順番で話したくなるか、
自分のさよならの挨拶への思いが自分でわかると思う。


自分らしくない、格好をつけた挨拶なんて、
最後の最後にすることはないなと思う。


何よりも忘れないでほしいのが、
きちんと挨拶をできる状況で、
挨拶をしたい人と最後の時間を過ごせる、
ということが一番かけがえのないことだということ。


毎日を一緒に過ごし、
区切りとして別れて行くからこそ、挨拶ができる。
どちらかが一方的にいなくなってしまったり、
突然関係が途絶えたりしてしまうと、
お別れの挨拶をしたくたってできないこともある。


お別れの挨拶を言えることは、
ほんとうにかけがえのない喜びなのだと思う。
だからこそ、その時間をたいせつにしてほしいと思う。



喋るにしても、メールを書くにしても、
自分の言葉で伝えようとする思いは、
必ず伝わる。


もう随分前になるが、
一緒に仕事をしていた人からびっくりするようなことを聞き、
このままここでは仕事はできないと、
さっさと次の仕事を見つけて転職をしたことがあった。


が、そんな状況にも関わらず、
その人は最終日にメールをくれた。


でも、自分はお別れの挨拶をしなかった、と思う。
それくらい怒りが煮えたぎっていた。
もう明日から新しい会社だと気持ちも切り替わっていた。
挨拶なんかいらないと思っていた。


そして、一年後。
偶然、仕事で新しい技術の習得にいった研修先に入ろうとしたら、
ランチタイムの行列に並ぶその人と、
その人がいつも一緒にランチに連れ立っていた人を見た。


少し会社から離れていた場所だったため、
まさか見かけるとは思わずびっくりした。
目の前の50メートル先にいた。


のんびりとランチの行列に並ぶその人を見ていたら、
ふと、ああ、一年も経ったんだ。
もう許そうと思った。


本当はどっちが、正しいとか悪いということでもないもので、
何を許すということもあいまいだけど、
最後にお別れの挨拶をと思って、
決して文章が得意ではないはずなのに書いてくれて、
感謝の言葉も書いてあったと思い返し、
それを書いてくれたこと自体の勇気を感謝しようと思った。


自分のような人間に、
きちんと送別の言葉をくれたのだと思うと、
一年経ってようやく冷静になれた気がする。


そのときは相手は自分に気づかず、
研修開始まで時間もなかったこともあり、
その行列の横をそのまま通り過ぎた。


ただ、それだけのことだったけど、
お別れの挨拶を貰っていたんだ、
という気持ちで全てを許そうと思った。
起きた出来事も、自分のなかの怒りも。
何より、お別れの挨拶があったからこそ区切りがつき、
今の自分にいたってるのだと思うと、
そういう挨拶がもらえてよかったのだと思えた。



お別れの挨拶を言える関係は、かけがえのないもの。
言えずに別れていくことのほうが、
もしかしたら圧倒的に多いかもしれない。


挨拶を言える状況なら、
どんな言葉だっていい。
自分の言葉で伝えて欲しいと思う。


もしかしたら、握手をして、
にっこりほほ笑むなり、
ぐしゃぐしゃに泣くなりしたっていい。


お別れの挨拶ができる時間と空間を共有できる、
その一瞬の時間を大事にしてほしいと思う。
言葉が出てくるなら言葉で、
言葉が出てこないなら心で。


お別れの挨拶ができる喜びにひたって、
区切りをきれいにつけて、
また明日に向かって歩き出そう。


あなたとお別れすることをさみしいと思ってくれる人がいる。
だから、あなたもあなたの思いをきちんと伝えられるといいなと思います。


さよならと言える相手なら、
また会えるんだと思う。


さよならさえ言えないひとこそ、
もう会えないのかもと思う。


いいお別れの挨拶と時間を。
素敵なひとたちと過ごしてほしいと思う。


では、また。