威嚇と萎縮

こんにちは、検索迷子です。


関わっているプロジェクトで大きなトラブルがあり、
打ち合わせのさなか、取引先から電話やメールが続き、
打ち合わせそのものが緊迫していた。


役職者ばかりの打ち合わせのなか、
同じトラブルという状況でも取引先の応対は異なり、
ああ、仕方ないですねという人もいるかと思えば、
怒鳴り込んで、逐一状況報告を求め、
電話口から威嚇の様子がありありと伝わってくる人もいた。


日ごろは冷静な担当者も、
謝罪や報告の声が震えていたりして、
聞いているこちらもひやひやした。


電話を切った後、
若い頃はもっと打たれ強かったのに、
なんか、威嚇に弱くなったなぁとその人は言っていた。


たしかに、今のポジションを得るために、
その人は大組織のなか、
昇進試験がある出世コースの先陣を切ってきたのだと思われた。


が、その自分の勢いが落ちたと嘆いていた。
誰が対応したところで、
その人の威嚇は止められはしないものだが、
もっとタフに受け止めて、
もっと前向きに強くいられたというのは、
応対をずっと横で聞いていてなるほどと思った。


威嚇と萎縮という構造は好きではない。
でも、威嚇にも毅然とできることもある。


どんな心持ちで受けるのかによって、
もしかしたら、相手の怒りの火のつきかたも変わるのだろうか。


そういうことを考えながら、
怒鳴り声をただ横で聞いていた。


では、また。