こんにちは。検索迷子です。
今日のお話は、
Webサービスの公開前夜に込めた思いと、
ここで人々が幸せになりますようにという願いの話、
です。
新サービスの社内公開テストは、大盛況。
私はかつて、Webサービスを新規で立ち上げる経験をしました。
そのサービスは、社内でほぼ初めてともいえるベータ版での公開でした。
公開するスピードを早めることが求められていたため、
通常のサービスであれば必ず踏む、
社内の手続きを簡略化する例外的な対応がとられました。
その一つが、直前の社内環境限定の社員向けの公開テストでした。
双方向性のあるサービスだったこともあり、
とにかく動作確認を大人数で大量に行っておく必要がありました。
社内でボランティアとして任意参加を募ったところ、
多忙な業務の合間に、多くの社員が興味を持って参加してくれました。
日に日に利用する人が増え、社員IDは一目瞭然でしたから、
誰がどんなことをしてくれているのかが丸見えでした。
え、こんな人までと思うような、普段は会話をしないような他部署の人が、
使い倒して、楽しんでいる様子がわかりました。
ところが、検索迷子である私は、何か月にも渡ってプロジェクトに参加し、
仕様がわかっている運営者でありながら、
双方向性のあるサービスが怖くて、気軽に使えないタイプでした。
社内環境にも限らず、なかなか参加できませんでした。
最もテストをしなければならない一人だというのに、
他の人たちが楽しんだり、バグを発見して報告してくれたりするなか、
ただ閲覧しかできない、びくびくした時間が過ぎていきました。
へー、みんなこうやって使うんだと学ばせてもらいながら、
ああ、私もできそうと、真似して遅ればせながら使い始めました。
公開日は直前というのに、随分とのんびりしたものでした。
まだ、リアリティがなかったのだと思います。
たった一人の肩にかかった、サービスの空気づくり。
そんな状態が数日続き、いよいよ本番環境への移行準備が始まりました。
一番乗り遅れていた検索迷子の私には、やるべき重大な役割が待っていました。
それは、本番環境に移すとき、
本物のサービス内で使える、実際のお客様が見る情報を仕込むのは、
私が最後に一人でやるということでした。
正念場はここからでした。
それまでテスト環境では、社員による賑わいを見せていました。
成功への手ごたえはありました。
でも、それはあくまで、テストを兼ねた社内では、ということでした。
社内でのテストデータは、社員同士だからできた度合いのこともあり、
本番には決して使えないデータでした。
実際に公開されるWebサービスに、最後の息吹を吹き込む、
それが私に課せられた役割でした。
責任重大でした。
サービスの趣旨や利用方法を、
私が運営者として公開されるIDで仕込み、
その情報を通してお客様にわかってもらうといった、とても大事なものでした。
また、せっかく新サービスに訪問してくれても、
賑わいのない、ガラガラな状態なわけにはいかず、
膨大な量の実際のデータを用意する必要がありました。
つまり、私が一番最初のIDが見える活動者になって、
操作のお手本にならなければなりませんでした。
その種類のサービスは、まだ当時ほとんどのお客様になじみはなく、
たぶん、何をしていいのか戸惑うということは十分想像できました。
だからこそ、お手本が必要でした。
また、事前にプロジェクトで決めた絶対的な制約がありました。
それは、運営者としてお客様と一線を画すために、
公開後は運営者とわかるIDで、サービス内に二度と登場しないということでした。
だから、操作のやり直しがきかないのです。
公開前夜までの数日間は、サービス内の空気感を作るために、
そのサービスをほぼ私が独占利用して、文体とか雰囲気作りをする必要がありました。
この社内環境から本番環境への切替の作業のときの緊張は、今でも忘れません。
前日まで、社員が皆でわいわいがやがやと使っていたのが、
ぽつん、と私だけになったのです。
私だけしか、今このサービスにアクションを起こす権限がないんだ、
もう私しか、このサービスの本番環境にいないんだと思うと、
猛烈に不安が襲ってきました。
私が、操作一つ間違えたり、言葉遣い一つ間違えたりすると、
それが、このサービスの標準ルールになり、
サービスのカラーとなってしまうと思いました。
泣いてもわめいても、私がデータをためていかないことには、
期日に公開できません。
もう、やるしかないと、ただひたすら操作をして、書き続けました。
手が腱鞘炎になるほど、文字を打ち続けるうちに、
猛烈に責任感が芽生えました。
検索迷子だなんて言ってられない、
私がサンプルをたくさんためて、このサービスを使ってもらわなければならない、
ヘルプページはあるけれど、ヘルプページ以上に、
目に見えるアクションとして、一つでも多く実際にやってみせなければならない、
手を止めてはいけない、とにかく前日まで走りきらないとと思いました。
公開前夜、まるで機械のように文字を打ちながら、
私は、このサービスを必ずいいものにする、
このサービスを使うお客様が幸せになってほしい、
それだけを願って、
絶対に間違った使われ方をしないよう、操作に全身全霊を込めていました。
公開前夜、私のIDは永久欠番になって、
もうこのIDでは参加できないんだなと、しみじみ思った覚えがあります。
最初にプロジェクトで決めたとおり、
事実、本当にその日が最後のアクションでした。
明日からはもう、私の手元を離れるのだから後悔しないようにやりきろうと思いました。
明日からは、お客様のものになって、お客様同士が空気感をつくるんだなと、
とても感慨深く、帰宅直前にログアウトをした覚えがあります。
そして、当日の朝。サービスはお客様の手元に。
公開日の朝から、私は運営者IDで登場する人ではなく、
完全に裏側でサービスを見守る役割でした。
私のサンプルデータは、役に立つだろうかという心配をよそに、
多くの方たちが集まり、あっという間に新しい場所を楽しんでくれました。
思い通りにいった部分と、そうでない部分がありましたが、
それは、そこに集う人々が作り出していってくれればいいと、
場を提供する黒子に徹することにしました。
お客様の手元に渡った以上、もう、それは運営者の所有物でありながら、
お客様のものなのです。
思い通りにならないからと強引に仕切りなおすこともできず、
割り切りと性善説にたった適度な距離感が必要でした。
とにかく、見守ることに専念し、機能改善を繰り返して、
時間は過ぎていきました。
そして、私はそのサービスからも、会社からも遠ざかった時間を過ごしました。
あるとき、昔の詳細履歴で自分を足跡を知る。
私が退職後に追加された機能を、あるときたまたま見つけて驚いたことがあります。
それは、私のアクションの時間が詳細まで表示されていたのです。
私は分刻みで、本当に、公開前夜に必死にアクションをしていたことが、
いまさらながら証明されたのです。
このエントリーを書こうと思ったのも、
過去の自分が見えるという驚きを、偶然その機能で知ったからでした。
そのサービスを今では月に数回しか訪問しませんが、
過去の私がここにいる!と、本当にびっくりしました。
インターネットって凄い、私はそのサービスを離れて何年も経つのに、
数年前の私がここにいる、そして、私がどんな気持ちだったかを呼び起こしてくれる、
その不思議な気分を味わいました。
形に残ることの怖さも感じましたが、
公開に立ち会った運営者としての責任は果たせたかなと、
いま成長を続けているそのサービスを見ていて思っています。
いいお客様に恵まれたのも大きかったでしょうが、
気持ちが落ち込んだとき、自分はいい仕事をした!と一瞬だけ、自画自賛をしたいときに、
そこを訪問して自分を励まします。
自分はがんばったって、そのサービスがあることで証明できます。
あのときのたった一人の本番移行アクションと腱鞘炎も、今ではいい思い出です。
インターネットで何かするということは、
ましてや個人ではなく、プロジェクトで何かをするときは、
責任を伴って公開される、消せないログを作るんだと思いました。
その責任を背負うために、運営者としてのIDがあったのかと思いました。
私は、そのサービスにはもういないですが、
そこに集う人が、今でも幸せでありますようにと、願い続けています。
そんな思いを込めたページをたくさん、そのサービスは今でも消さずに持っています。
検索迷子も今、たくさんの人に支持されたいというよりは、
いつか、誰かの心に届くようにと思って書いています。
そのため、あまり時事ネタを書いていません。
10年後、検索迷子のエピソードを誰かに読まれても、古さを極端に感じず、
その時読んだ方が、少しでも元気になったり、発見があったりと、
長期的にどこかで、お役に立ちたいと思っています。
検索迷子にとってインターネットは、
新しさよりも不変の情報を提供したい場です。
ずっとここにある、いつでもここにいる、
何年経っても読みたい情報や言葉を発していたいと思います。
インターネットの場で、私は誰かを幸せにしたいと思っています。
リアルな場で決して会うことがない方でも、
文字を通して、小さな幸せを渡せていければいいなと思います。
検索迷子が誰かのお役に立てるよう、これからも精進していきます。
では、明日。またここで。
検索迷子