中居正広さんの「終活」番組での存在感

こんにちは、検索迷子です。


土曜プレミアム・中居正広の「終活」ってなんなの?〜僕はこうして死にたい〜2016、を観たので、その感想を書こうと思う。


私は7か月くらい前からSMAPを話題にしたブログを書いているが、唯一、ブログタイトルに個人名をつけて感想を書いてこなかったのは、中居さんだけだった。これは、興味がないからということではなく、逆に、中居さんの多様性を一つの番組やシーンだけ切り出して、感想を書くことの難しさを感じていたからだ。


実際、ブログで話題にする前、Twitterもやっていなくて、一人だけでSMAPのことに関心を持ちネットで情報を閲覧していた時期は、ファンのかたのブログなどで、草なぎさんと中居さんの情報だけをずっとウォッチしていたくらい、中居さんの司会番組には注目していた。といっても、テレビをほとんど観ない自分は、中居さんの多数の番組を視聴することはなく、ネット情報で中居さんの活躍を知るのみで、ブログでわざわざ感想を書く日なんてこないと思っていた。


SMAP全員が出る番組を視聴するだけでも、中居さんのMCの素晴らしさは、いつか言葉にしたいと思うようにはなっていた。けれども、その凄さはもはや尊敬の域にあって、簡単に言葉にできそうにないと思っていた。


でも、そんな「書くことが難しい存在」の中居さんだが、一度どうしてもしっかりと敬意を書いておきたくて、最近ずっと、別テーマで書こうと考えていた。でも今日は、番組を視聴して、その準備中の話題とは別に、どうしても今一つ書きたくなったので書こうと思う。

「終活」がリアリティを持つ、中居さんの経験談

私は中居さんのテレビ番組を、SMAPがゲストの時以外は、ほとんど観ないが、今日の「終活」は番組が始まる直前まで観ようかどうか、ぐだぐだと悩んでいた。理由はやはり、テーマの重さに自分の気持ちが耐えられるか、ということだった。


でも、観終えてみたいまは、観て良かったと思った。そう思わせてくれたのは、中居さんの司会の力だと思っている。中居さんは、重たいテーマも、軽やかに目の前に差し出してくれて、視聴者の感情の起伏の緩急を、ほどよくつけてくれる役割に徹してくれた。


話題の中核をしっかりととらえつつ、考えるべきところは考えさせてくれるところ、重たい話題のなかにも眉間にしわを寄せるだけでなく、笑いとして気持ちをふわっと軽くしてくれて、「重く考えすぎず、でも、しっかり考える」という気持ちにさせてくれた。


ご自身のお父様の話を織り交ぜつつ、各エピソードをうまく取り上げ、でも、どこも重くなりすぎず、過不足もなくそれぞれの話題に寄り添っていて、本当にバランス感覚のいい司会をされるなと思って見ていた。


番組中、番組後にも、では実際、自分は「終活」をどうしていくかと、手元に引き寄せさせてくれた気がする。二時間強の番組のなかで、泣き笑いしつつ、しっかりとテーマを植え付ける役割を果たした番組だと思った。


私は以前、いっとき仕事で「終活」に近いことをサポートするようなことをしていて、人の死に直面するかたたちと多く接したことがあった。勉強のために、「エンディングノート」を書くセミナーにも参加したことがあるし、「死」や「葬儀」や「遺品整理」といった言葉を毎日、ビジネスとして、むしろ感情を排して使っていた日常もあった。仕事として、医療現場に毎日通ってビジネスの話をしていたこともあるし、関係者にも話を聞くこともあった。


だから、こうした一般のかたが迂回したくなるような「死」を取り巻く話題を、体験をもって魂を込めて発する人や、できるだけその話題を避けようとする人、あるいは、ただの冠婚葬祭や供養業界ビジネスの一つの会話として日常語のように話す人の違いは、言葉のはしばしからその違いがわかるほうだと思っている。同じ「葬儀」という言葉を発する人でも、「死」への意識や、距離感の取り方は大きく違うのだ。


私がこの番組を観ようと思った理由は、中居さんがビジネスとして「終活」のテーマをドライにさばくのか、それともとことんまで寄り添っていくのか、その司会の方向性に興味があったからだ。


中居さんは昨年のこの番組の収録時、まさにお父様の看病のさなかで、お通夜の際がオンエアだったと言われていた。そして、一年後、またこのスペシャル番組の収録があり、この一年間、テレビでは語られなかったことをいくつもお話しされていた。


近親のかたの死を体験されたからというだけではなく、中居さんのお父様への関わりかたの深さや行動してきたことの数々は、この番組のMCに中居さんが適任であったと本当に思わされた。


中居さんが、単にゲストの方との会話や番組進行のスキルが高いから、司会がうまい、というだけではなく、ご自身の地に足がついた経験を惜しげもなく世の中のかたに伝えていく、そのリアリティを持った人間力があるからこそ、この番組のMCは中居さんにしか務まらなかっただろうと心から思えた。

愛を想い出を納棺するエピソード

なかでも、はっとしたエピソードは、香取さんの絵の納棺のお話しだった。これはSMAP同士の微笑ましいエピソードというよりも、棺に何を入れるのかという本質を、中居さんがきちんと理解しているような話として、好ましいと思った。


それは、入院中にお見舞いに来られた香取さんが、中居さんの写真(それを、紙にコラージュして?)とお父さんの絵を描いてくれた絵をプレゼントしてくださって、納棺の際にそれを「お父さんが喜ぶだろうと思って」と、香取さんの許可をとって棺に納めたというものだった。中居さんの直筆の手紙と、ほかにはいくつかの品々と、香取さんの絵を入れたのだろう。


棺に入れるものは実は、燃やせるものが前提のため、意外と納められるものが限定されてしまうが、天国まで持っていける数少ないもののなかに、香取さんの絵があったというのは素敵なお話だと思った。そして、ご遺骨と一緒となった香取さんの絵も収められた、骨壺をいくつもに分けて家のあちこちに置いているという。


近親が亡くなった際は、いかに闘病期間があったとしても、死を受け入れられず、悲しみに暮れて、いざ棺に何を収めるか冷静に考えが及ばないことがある。だから、中居さんが直筆の手紙を書いたというお話だけでも素晴らしいと思ったが、香取さんの絵を一緒にと思ったところが、さらに素敵だと思った。


棺とか骨壺というのは、とても身内感のあるものだ。そのなかに、中居さんが香取さんの絵を選んだということが、愛情を込めて絵を描いてくれた香取さんへの、中居さんからの感謝の気持ちや愛情でもあるように思える。中居さんへのお父様への愛情も、この絵にまつわる中居さんと、香取さんの魂のつながりのようなものも含めて、愛を棺に納めるということの本質がわかっていらっしゃるかたなんだなというのが、伝わっている。


そして、香取さんにとって絵を描いてプレゼントするということは、ご自分の一番大事な能力を使った、一番大きな愛情表現の一つでもあると思うのだ。唯一無二のものをプレゼントして、それを受け取ってもらえたことだけで嬉しかっただろうに、お父様と永遠に骨壺と一緒にいる絵になるなんて、灰となって美しき思い出のまま残るという素晴らしい贈り物だなと感動してしまった。


私はこのエピソードをこれほど長めに書いたが、番組ではさらりとワンシーンで終わっていた。でも、そこがまた、この番組が本来の主旨から脱線せずに、重すぎず、軽すぎず番組を進行している度合いがほどよい感じがした。


結果的に、中居さんはお仕事としても冷静に「終活」に向き合いつつ、近親者の死を経験した一人の人間としても番組に臨んでおられたと思う。司会という役割、近親者の死というどっちの立場も過剰にもならず、本当にバランスが良い司会をされていて、中居さんはこの番組の司会に適任だったと思った。


特に、司会として、「終活」をやらなきゃだめだよ、自分もこれからしっかりやるという宣言やスタンスではなく、フラットな立ち位置のままなのも好感を持てた。


昨年、同番組の司会をしてもなお、このことを忘れちゃったりとか、意識から遠ざかるとかいう一般のかたの目線のままで、だからこそ繰り返し伝えていくことの大事さを話していたが、番組のテーマについて押しつけがましくないのが、逆に印象に残った。だからこそ、繰り返し伝えていく役割として、中居さんには、またこの番組を続けてほしいと思った。


私たちは生きていくうえで、目を背けたい話題、できるだけ先送りしたい話題もいくつもある。でも、中居さんの司会によって、遠くにあったものが近くになり、直視できないものに視線を向けようと思うこともあるのだと、今回つくづく、中居さんという存在の大きさを実感させられた番組だった。


では、また。