オリラジファンブック寄稿文:中田さんと藤森さんに宛てた二通の手紙

こんにちは、検索迷子です。


3月末をもって、2017-02-25 オリラジにクリスマスに贈った、ファンブック初公開で公開していた、冊子のリンク先を閉鎖した。


今日は、この冊子に掲載していただいた、中田さんと藤森さんに宛てた二通の手紙を全文掲載する。


なお、冊子でこうした公開形式をとるのは拙文箇所のみである。
アンケート結果やファンの声を読みたいかたもいるだろうが、そこは諸事情があり再公開予定はないため、ご了承いただきたい。


手紙は、下記から見出しをスクロールして、「中田敦彦さんバージョン」「藤森慎吾さんバージョン」をご覧ください。


なお、文章構成はオリラジお二人の共通箇所が前後にあり、真ん中のブロック1500文字が個人に宛てた内容になっている。それぞれ各4000字ある。


お二人の相違箇所は、「中田敦彦さま ー全ての色彩が集まった一点の黒」、「藤森慎吾さま −全ての光彩が集まった一点の白」から始まる、見出し3つ分ずつとなる。

掲載にあたり、いま思うこと

3か月以上前に書いた、オリラジ中田さんと藤森さんを綴った文章を、いま読み返すと本当に恥ずかしい。


ファンとは違う視点でというリクエストで書いた内容は、ファンのかたの熱にあふれたファンブックのなかでも異彩を放っていた。


これを書いて以降、オリラジのお二人にはトークライブの握手会で2回お会いしている。パフォーマンスもいろいろ見せていただいた。そして、日々進化を続けるお二人の活動領域は、いまなお拡大基調にある。


いま手を加えたら、まるで違う文章になるかもしれない。
それでも、あのとき自分にできるベストを尽くして書いたものなので、あえて何も手を入れず掲載する。



少し話はそれるが、私は今年、FISHBOYさんのラジオ番組観覧に、近場ということもありほぼ全て行っている。10回以上お会いして、お忙しいなか毎回、観覧者の輪のなかに来てくださりお話をさせていただいている。


顔は覚えていただいていると思うが、このブログの書き手ということをご存知かまでは知らない。でも、自分の心情としては、お会いする回数が増えるにつれ、どんな視点と距離感で書くか、気持ちの変化が生まれてきたと思う。


接触頻度が増えれば、心理的な距離感も近くなる。ご本人がクローズアップしてほしいところは、そこじゃないのかもしれないと杞憂する。


それでも、ここは宣伝目的ではない、個人の所感を書く場に過ぎないため、できるだけ客観視という抑制を加えて、自分目線で書いていこうと思う。


特別な力を持たないにしても、今日初めてオリラジやRADIOFISHを知ろうとするかたに、自分が見聞きしたことや、そこから得たものを、ただ淡々と伝えようと思っている。


オリラジを思う多くのファンのかたの気持ちの濃さには、とうてい追いつけない。
でも、私なりにお二人から学ぶことは多く、たとえそれが濃度が薄い表面的な言葉だったとしても、そこに嘘はない。


拙文を再読したいニーズがあるかはわからないが、原稿依頼時点から全文掲載は決めていた。
それは、オリラジのことを自分が書いたようなトーンで書いた文章が、ネット上になかったからだ。


いい文章かはさておき、お二人の素敵な部分を文字にしたいと思い綴った文章を、ネット上においておきたかった。


いつか、お二人の活躍に比例して増え続ける、新規のファンのかたの目に留まってくれれば幸いである。


では、内容を掲載します。


なお小見出しや、私の紹介のリード文は全て、編集人のかたにつけていただいた。
引用するのが照れてしまうが、文章の流れ上にあったほうがいいと思い、原文まま掲載する。

中田敦彦さんバージョン

Message column for ATSUHIKO NAKATA
同性の二人が歩く、道程に
オリエンタルラジオのファンブックに寄せて


飛躍の一年を振り返るにあたり、様々なエンターテインメントを主観・客観を織り交ぜた言葉で巧みに表現し、オリクラに絶大な支持を得る検索迷子氏に、二人への手紙を綴っていただいた。



こんにちは、検索迷子です。
2016年は、オリラジのお二人にも、ファンのかたにとっても忘れられない一年となったことでしょう。そんな一年の終わりに刊行される、オリラジファンブックに参加させていただけることになりました。

お手紙のはじめに ーオリラジとファンがつなぐ縁

オリエンタルラジオのファンのかたたち(通称:オリクラさん)が、今年のオリラジの活躍に感謝を込めて、ファンブックの作成を始動させたと知ったとき、日常Twitterなどで拝見する素晴らしきクリエイターのかたたちの作品を、ひそかに楽しみにしていました。


冊子は12月25日にお二人に手渡しし、後日、ネット上にPDFで内容を公開するようですが、現物はオリラジと、参加クリエイターの人数分(労力へのご褒美)のみの、販売目的ではない、世界に数冊しかない貴重なものです。


しかも、中田敦彦、藤森慎吾バージョンの内容は別というスペシャルブックと聞き、別に進行している「オリクラさん属性アンケート」とともに、完成に期待が高まっていました。


傍観者のつもりが、「ファンとは違う立ち位置で、オリラジにお手紙を書いてください」という、信じられないようなお声がけをいただきました。


オリラジを見守ってきたオリクラさんとお話をさせていただくなかで、「オリラジの見方」の多様さがわかってきたため、あまりの大役に即答ができませんでした。でも、せっかくの機会なので、あくまで私が見てきたオリラジ、という限定条件でお受けすることにしました。

オリラジとの接点

読んでいるかたに簡単に自己紹介をさせていただくと、私は2016年9月から検索迷子名義のブログで、RADIO FISHを中心にした話題を書いています。


2015年末からオリラジの活動に注目し、4月には、らじらーに初投稿で読まれる経験もしました。「俺らのこと、すごいほめてくれて、うれしい」というお二人の声を聴きながら、ふと、優秀すぎて周囲の期待値が高い人ほど、もっと上を望まれ、意外とほめられてきていないのかも、いつかオリラジのことを書きたいと思ったのを覚えています。

オリラジに実際お会いして、イメージとのギャップに驚く

10月12日の2ndアルバムのリリースイベントで、初めてお二人に会いました。写真撮影会で、「ブログを書いています」と伝えたところ、中田さんに「次は俺を五万字で書くように」と、リップサービスとはいえ言っていただけました。


お二人の印象は「オリラジが、こんな上品だとは」と思うほど職業人の風格が漂い、想像していた、ギラギラ感もチャラさもないということでした。落ち着き払うお二人は、スキルマスターの「イケメン」具合とは違う、「ハンサム」という言葉がしっくりする佇まいでした。


初イベントでご本人と会話をしたことで、メディアを通したオリラジとのギャップの大きさにびっくりしました。お茶の間視聴で書き続けるつもりが、この日を境に、できるだけ現場に行って、実際に体感したことを書きたいと思うようになったのです。


オリラジを見つめ一年もしないうちに、いま、ここで手紙を書く不思議。人生って、面白い。

中田敦彦さま ー全ての色彩が集まった一点の黒

中田さんの瞳は、深くて濃い、漆黒のような色だと、10月のトークライブ後に握手をしていただいたときに思いました。


真っ黒な瞳で、目の前にいる相手に集中して話を聞く姿を見て、中田さんの原点は、この「一点をしっかり見つめる」ところにあるのではないかと感じたのです。


中田さんは、秀逸した分析力や思考力、プレゼン力などをよく評価されています。詳細な分析を今回はしませんが、その原点となるのは「集中力の深さ」で、多様なアウトプットは、それぞれの見え方の違いに過ぎないのではないか、と思うようになりました。


たとえていうなら、「色の三原色」という、イエロー、マゼンタ、シアンの色を掛け合わせて印刷物の色彩を作るという原理がありますが、これらの色は全て掛け合わせると黒になります。いろんな色彩を集約すると、最終的には「一点の黒」になるというのが、何か中田さんの発するものを象徴しているような気がするのです。


個別の色を放ちつつ、それが集まると全ての色彩を包括する、一点の濃い黒になる。


この一点の黒のような、濃くてインパクトのあるもの、キャッチーなものを中田さんは考え抜き、世の中に集中投下しているようにも思うのです。

効果的な言葉選びと深い愛情

集中している姿として、リリースイベントや、トークライブに行って会話をさせていただいたときのことを思い出します。中田さんは一方的に、言葉を乱射する人なのかと思っていましたが、それは全く違っていました。


むしろ、聴いている時間が長く、言葉も慎重にゆっくりと選び、効果的で簡潔な言葉しか言わないかただと驚きました。それは観客相手というのもあるでしょうが、その人がどういう人なのかを、短時間に集中して理解しようとしているようにも見えました。


特に好きな場面を、一つご紹介します。
それは、主にラジオでよく耳にしますが、藤森さんが投稿者のラジオネームを読み上げたあと、本題を読む前に、中田さんがラジオネームをそっと繰り返すところです。


これは、ラジオならではの習慣かもしれませんが、その一言のつぶやきが、相手をいったん受け止める受容の姿勢や、投稿への集中具合がうかがえて、とてもいい響きに聞こえます。


誰かの言葉を受け止めるその一瞬に、集中されているのだと思うような場面です。


また、中田さんの深くて濃い側面は、「情の深さ」にもあるのだと少しずつわかってきました。もっと冷徹なかたかと思っていたら、さまざまな場面で、身内感の強い方への愛情の濃さが伝わる発言をされているのを聞き、想像以上の愛情深さに驚かされてきました。

運命を動かす瞳の先に見るもの

意外だったのが、中田さんがほめ上手だということでした。


相手が優れている点を見抜いて、本人に対して照れることなく、素直にほめることができるというピュアさを持っていることにびっくりしました。


口が裂けても相手の長所を言わない、自分の負けを認めたくない、ほめるのが下手な人かと思っていましたが、それどころか誰よりもほめ上手で、その長所を伸ばしていくように誘導もされ、いまでは、中田さんはいつも誰かをほめているという印象すらあるくらいです。


こういう素直さを持ち合わせて、他者との共同作業をより意味のある時間に発展させていけるのは、中田さんならではのスキルだと思いました。


中田さんの漆黒の瞳は、ものごとに集中して、夢を見るためにあり、
深くて濃い情は、周囲とお互いを高め合うためのエネルギーとなっているようです。


その瞳が見つめ、深くて濃い情を向ける対象に選ばれるものは、中田さんによって、何か運命を動かされるような、そんな宿命があるような気すらします。中田敦彦のおめがねにかない、分析され、ほめられ、プレゼンの対象になりたいと、きっと思う人は多いことでしょう。


その瞳が何を見つめ、どんな夢を描いているのか、視線の先はずっと注目され続けていき、私たちはその後ろ姿を、そっとこれからも見ていくのだと思います。

オリラジのお二人へ ーこれから歩む二人の「道程」

お二人に、『道程』(高村光太郎)という詩を贈ります。


「歩いた道こそ武勇伝」にある通り、「道」はオリラジを象徴する場のような気がします。
1914年が初出の古い詩ですが、青春時代を象徴するような内容です。


タイトルに、ダブル・ミーニング(掛ことば)的な要素を込めて選びました(実際の詩にはそんな意味はありません。あくまでジョークとして)。


青き時代をともに過ごし、時にショッキングピンクのような激動のなかに生き、青とピンクの濃淡を変えつつ、固定の色に染まらず、変化し続けるお二人。
「動と静」のバランスを変え、調和をとりつつ歩む、「同性」のお二人。


奇跡的に出会った、夢を見る才能と、夢を実現する才能の持ち主のお二人。
その才能の融合によるパフォーマンスで、これからも楽しませてください。


どうか、この先も前を見て歩き続けてください。心が折れそうになったときは、そっと振り返り、ファンが見守ってくれていることを確認して、再び歩き出してください。

道程
                    高村光太郎


僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため


(引用:高村光太郎詩集(岩波文庫、1981年)

最後に

今年、何度も心でつぶやいた思いを、あらためて書いておきます。


同じ時代に生きて、笑顔になれる時間をたくさんくれて、本当にありがとうございます。


オリラジに、会えて良かった。
笑って、笑って、笑えた、幸せな一年でした。


そして、来年もまた、夢を見させてください。


年末年始、多忙な時期が続くでしょうが、体調と突発的なことには細心の注意を払い、この時期が、一生忘れないものとなりますように。


忘れたくないと思う一瞬が、途切れずに続き、それが積み重なり、かけがえのない一生となりますように。


けもの道が、いつか、オリラジが歩いた道となって、人々の心に刻まれますように。


2016年12月25日 クリスマスの日に
検索迷子

藤森慎吾さんバージョン

Message column for SHINGO FUJIMORI
同性の二人が歩く、道程に
オリエンタルラジオのファンブックに寄せて


飛躍の一年を振り返るにあたり、様々なエンターテインメントを主観・客観を織り交ぜた言葉で巧みに表現し、オリクラに絶大な支持を得る検索迷子氏に、二人への手紙を綴っていただいた。



こんにちは、検索迷子です。
2016年は、オリラジのお二人にも、ファンのかたにとっても忘れられない一年となったことでしょう。そんな一年の終わりに刊行される、オリラジファンブックに参加させていただけることになりました。

お手紙のはじめに ーオリラジとファンがつなぐ縁

オリエンタルラジオのファンのかたたち(通称:オリクラさん)が、今年のオリラジの活躍に感謝を込めて、ファンブックの作成を始動させたと知ったとき、日常Twitterなどで拝見する素晴らしきクリエイターのかたたちの作品を、ひそかに楽しみにしていました。


冊子は12月25日にお二人に手渡しし、後日、ネット上にPDFで内容を公開するようですが、現物はオリラジと、参加クリエイターの人数分(労力へのご褒美)のみの、販売目的ではない、世界に数冊しかない貴重なものです。


しかも、中田敦彦、藤森慎吾バージョンの内容は別というスペシャルブックと聞き、別に進行している「オリクラさん属性アンケート」とともに、完成に期待が高まっていました。


傍観者のつもりが、「ファンとは違う立ち位置で、オリラジにお手紙を書いてください」という、信じられないようなお声がけをいただきました。


オリラジを見守ってきたオリクラさんとお話をさせていただくなかで、「オリラジの見方」の多様さがわかってきたため、あまりの大役に即答ができませんでした。でも、せっかくの機会なので、あくまで私が見てきたオリラジ、という限定条件でお受けすることにしました。

オリラジとの接点

読んでいるかたに簡単に自己紹介をさせていただくと、私は2016年9月から検索迷子名義のブログで、RADIO FISHを中心にした話題を書いています。


2015年末からオリラジの活動に注目し、4月には、らじらーに初投稿で読まれる経験もしました。「俺らのこと、すごいほめてくれて、うれしい」というお二人の声を聴きながら、ふと、優秀すぎて周囲の期待値が高い人ほど、もっと上を望まれ、意外とほめられてきていないのかも、いつかオリラジのことを書きたいと思ったのを覚えています。

オリラジに実際お会いして、イメージとのギャップに驚く

10月12日の2ndアルバムのリリースイベントで、初めてお二人に会いました。写真撮影会で、「ブログを書いています」と伝えたところ、中田さんに「次は俺を五万字で書くように」と、リップサービスとはいえ言っていただけました。


お二人の印象は「オリラジが、こんな上品だとは」と思うほど職業人の風格が漂い、想像していた、ギラギラ感もチャラさもないということでした。落ち着き払うお二人は、スキルマスターの「イケメン」具合とは違う、「ハンサム」という言葉がしっくりする佇まいでした。


初イベントでご本人と会話をしたことで、メディアを通したオリラジとのギャップの大きさにびっくりしました。お茶の間視聴で書き続けるつもりが、この日を境に、できるだけ現場に行って、実際に体感したことを書きたいと思うようになったのです。


オリラジを見つめ一年もしないうちに、いま、ここで手紙を書く不思議。人生って、面白い。

藤森慎吾さま −全ての光彩が集まった一点の白

藤森さんの茶色く透き通る瞳を、10月のリリイベの写真撮影会で初めて見たとき、直視できないほどの透明度に、本当にびっくりしました。


吸い込まれそうなその瞳は、人との距離感を一気に縮めるような感じがしました。


無邪気さすら感じる瞳は同時に、人を瞬時にスキャンするような、見透かされるような鋭さもありました。藤森さんは、「人を幅広く見つめる」ような瞳の持ち主だと思いました。


「光の三原色」という、赤、緑、青の色を掛け合わせて光の色味を作るという原理がありますが、これらの色は全て掛け合わせると透明に近い白になります。色を集めると、最終的には「一点の白」になるのが、何か藤森さん的なものを象徴している気がします。


ポップな色が集まると、全ての色彩を消した、一点の白になる。


いつでも染まれる白さを持つ藤森さんは、周囲と交わることで、その時々の何色かに染まりつつも、最終的には白にまた戻り、その純粋さはずっと損なわれないように思います。

綴る言葉、声質とリズム感で単語に吹き込まれる息吹

藤森さんを「チャラ男」のイメージで見始めると、「全然チャラくないどころか、むしろまじめ」と、ピュアで真っ白な部分にすぐに気づき、藤森さん独自の良さや、多才さにはっとさせられて、驚かされることもたくさんありました。


その一つが、藤森さん声と、言葉のリズム感の良さです。


らじらーの熊本地震直後の放送で、自分の投稿が読まれたとき、朗読する藤森さんの声にとてもびっくりしたのを鮮明に覚えています。


無機質な言葉が、藤森さんが読みだしたことで瞬時に生き生きとして、人間らしい温かみのあるものになったのを聴きながら、藤森さんってずっと声で仕事をしてきたプロなのだと、表現力が豊かさに驚かされました。


藤森さんの声は、男性の低音でも女性の高音でもない、中間の唯一無二の周波数に乗っているようだと思ってきましたが、この声こそ藤森さんの財産だと思うようになりました。


さらに、藤森さんが言葉を綴るセンスも、今、とても気になっています。


藤森さんが書く言葉は、ごく自然にすっと入ってきたため、最初は注目していなかったのですが、だんだん、普通の言葉に息吹を吹き込む力のすごさがわかってきました。それは作詞の才能にも、中田さんに宛てた手紙やSNSでの文章にも感じます。


藤森さんは、声に出して違和感のないリズム感で、喋り言葉のような書き言葉を書きます。喋りを前提に言葉を書いているようで、声と言葉を使う仕事が本当に天職だと思います。


特別奇をてらった単語を使わず、シンプルに言いたいことが伝わるその文と、ストレートな言葉は、時に心の奥底までに響き渡る破壊力を持っています。いい意味で、むき出しで人間らしい言葉を選ぶセンスを感じます。


言葉への敏感さは、藤森さんがたくさんの人と接してきた証で、最大の強みです。人に接するなかでどう言葉を使うのがベストかを、これまで大量に身に着けてきたのだと思います。


藤森さんは、人と接すれば接するほど感性が洗練され、人を思いやる優しさがいろんな才能を育んでいるようで、いい年齢の重ねかたをされていると羨ましくなるほどです。

「運命の人」は異性に限らない

藤森さんを知るにつれ、「藤森さんのような同性に出会いたい」と思うようになりました。


「運命の人」は、異性だけではないと気づかされるほど、藤森さんのようなハートの温かさを持つ同性がいたら、どれだけ自分の人生が楽しいだろうかと思います。


藤森さんが人の輪の中でかもし出す、柔らかな雰囲気さえも、一つの才能なのだと思うと、藤森さんは知れば知るほどに深く、才能のドアが開くたびに、いったいいくつの爪を隠しているのだろうと驚かされます。


どうぞ、そのキラキラな瞳と、その楽し気な声で、ほどよくチャラく、ほどよく真剣に、才能の多彩さをうまく使っていってくださいね。

オリラジのお二人へ ーこれから歩む二人の「道程」

お二人に、『道程』(高村光太郎)という詩を贈ります。


「歩いた道こそ武勇伝」にある通り、「道」はオリラジを象徴する場のような気がします。
1914年が初出の古い詩ですが、青春時代を象徴するような内容です。


タイトルに、ダブル・ミーニング(掛ことば)的な要素を込めて選びました(実際の詩にはそんな意味はありません。あくまでジョークとして)。


青き時代をともに過ごし、時にショッキングピンクのような激動のなかに生き、青とピンクの濃淡を変えつつ、固定の色に染まらず、変化し続けるお二人。
「動と静」のバランスを変え、調和をとりつつ歩む、「同性」のお二人。


奇跡的に出会った、夢を見る才能と、夢を実現する才能の持ち主のお二人。
その才能の融合によるパフォーマンスで、これからも楽しませてください。


どうか、この先も前を見て歩き続けてください。心が折れそうになったときは、そっと振り返り、ファンが見守ってくれていることを確認して、再び歩き出してください。

道程
                    高村光太郎


僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため


(引用:高村光太郎詩集(岩波文庫、1981年)

最後に

今年、何度も心でつぶやいた思いを、あらためて書いておきます。


同じ時代に生きて、笑顔になれる時間をたくさんくれて、本当にありがとうございます。


オリラジに、会えて良かった。
笑って、笑って、笑えた、幸せな一年でした。


そして、来年もまた、夢を見させてください。


年末年始、多忙な時期が続くでしょうが、体調と突発的なことには細心の注意を払い、この時期が、一生忘れないものとなりますように。


忘れたくないと思う一瞬が、途切れずに続き、それが積み重なり、かけがえのない一生となりますように。


けもの道が、いつか、オリラジが歩いた道となって、人々の心に刻まれますように。


2016年12月25日 クリスマスの日に
検索迷子


この先、年末に深くオリラジのことを考え続けたような機会が、再びあるのかはわからない。


4月のトークライブチケットは入手できなかったため、無限大ホールからルミネへの転換期は見られないだろうが、目先の一つの取りこぼしを嘆くより、目の前に受け取れるものができたとき、その一瞬に集中して楽しもうと思う。


時間を積み重ねた先に、いつかまた、新たな文章が生まれますように。


では、また。