RADIOFISHの『黄金時代』が奏でる音色と舞い

こんにちは、検索迷子です。


今日は、RADIOFISHの『黄金時代』の公式映像の感想を書こうと思う。
黄金時代【ENGEIグランドスラム2017披露の新曲】RADIOFISH


少し周辺の雑感を書いてから、本題にいく。
『黄金時代』のレビューをすぐに読む際は、スクロールして「黄金時代の和風テイストのEDMに惹きつけられる」の見出し箇所からご覧ください。メンバー全員のレビューがあります。

見るたびに趣を変えるパフォーマンス

この曲は何度かライブでも見て、TVでも年末の「検索ちゃん」や、2月の「ENGEIグランドスラム」でもオリラジの新曲ということで披露されているが、公式映像が出たことで読み手が追体験できるため、がぜん書きやすくなった。


特定ライブや特定番組のレビューは、日にちをおくと情報の劣化が目立つので、レビューの量産はもうあきらめている。そこはもう、ネット記事やTwitterのみなさんの声や動画のほうが、圧倒的にタイムリーで勢いがある。


RADIOFISHのパフォーマンスは、衣装や舞台演出も含め、都度考え抜かれており、観た場面での印象が違い、「再現性のないその時間」を楽しむものも多い。


今回の映像は2016年8月のワンマンライブ映像のため、これから書く話題は、パフォーマンス機会ごとに進化し続けるRADIOFISHの、今のそれとは違うところも十分わかっている。


それでも、この映像で初めてRADIOFISHに関心を持つ方もいるだろうと思い、あくまでも公式映像撮影時の黄金時代のパフォーマンスに絞って感想を書く。

感想を伝えることもスキルの一つ

とはいえ、この楽曲の感想を何度か書きかけ、あまりにも曲とパフォーマンスが好きすぎて、どんどんマニアックな方向にいきそうで、レビューをやめようと思っていた。


でも最終的に書こうと思うのは、いろんな評判があるなかで、誰もこの見方をしていないのなら、自分が書き残さなきゃと思う気持ちなのだと思う。


以前、FISHBOYさんがご自身のラジオ番組で、ダンスレッスンが他の仕事との兼ね合いで難しくなり全てやめようと思っていたが、自分では恥ずかしくてアップしないダンス動画を、毎回撮影してくれるスタジオに付加価値を感じてそこだけ今も続けている、というお話をされていた。


その理由として、動画をアップすると客観的な感想がたくさんもらえることにある、と言われていた。


観覧しつつそれを聞いたとき、あ、演者に直接感想を伝えるって大事なことなんだなと改めて思った。感想を伝えることはお礼にもなり、次のパフォーマンスにつながる小さな種くらいなるのかもと思うと、感想を言うのもスキルの一つなのかもしれないと思うようになった。


話の切り口は変わるが、昨日、(54)草なぎ剛さんに言葉の花束をー草なぎ剛さん記事まとめ2というブログを書いた後、70記事も書いてきたのだから、もっと草なぎさんの今を書いてほしいとか、未視聴だった連続ドラマの全映像を送ってくださるという驚くようなお声がけをいただき、そこまで言ってくださるなんてとありがたい気持ちになった。


長文ブログを書いていると、ご紹介いただく文面が「長文だけど読んで損はない」という言葉も多く、長文で読む負荷をかけてしまって申し訳ない気にもなり、Twitterだけで済ませようかという気にもなりかけていた。


「見たものに即、言葉を探して感想を言う」訓練を、学生時代も社会人になっても比較的多く積んできたためか、目にしたものに感想ゼロということはまずなくて、逆に感想を言うスイッチを切るのが大変なほうだ。


でも、書くエネルギーをかけられるものはごく一部ななか、書き始めたテーマは相当好きなのだと思う。


それが万人受けするかよりも、書いている自分が楽しいから書き続けているのだから、つたない感想であろうと、長文スタイルであろうと、読んでくださるかたがいるうちは、ぽつぽつと続けようと思い返した。


さて、『黄金時代』の本題に行きます。

黄金時代の和風テイストのEDMに惹きつけられる

黄金時代の好きなポイントは複数あるが、何よりも音楽が心地よく、RADIOFISHの楽曲のなかでも一番好きな曲だ。


これまでRADIOFISHのパフォーマンスについて書いてきたなかで、曲の話題はEDMというジャンルに明るくないこともあり、いっさいしていない。でも、この曲は初見の第一音から、本能で好きな曲だと思った。


理由ははっきりとしていて、和風テイストだからだ。三味線の音色と楽曲のアレンジ、藤森さんの声と歌詞力について、順を追って説明したい。


【坂本マニ真二郎さん三味線の音色と、宮田リョウさんのアレンジ】
とにかく、この曲の三味線の音がめちゃくちゃ好きで、演奏されている坂本マニ真二郎さんにも、Twitterで何度か感想をお伝えしてお返事をいただいたくらい、何度聴いても三味線の音色に気持ちがかきたてられる。


私は幼稚園の頃のお遊戯会で、踊りとリズム感をほめられたことがきっかけで、日本舞踊とお琴を高校時代まで習っていた。両方とも師範をとるレッスンまで進んでいたが、ある日突然、子どもながらに踊りとお琴では職業にはならないと現実的になって、あっさりと辞めてしまった。


(誰も興味はないだろうが、この二つをやっていたと言うとおしとやかだと勘違いされるが、スポーツ少年団や体育会系部活と並行していたくらい、体育と音楽のノリだったと思う。特に日本舞踊は大人に混じって子ども一人だったこともあり、吸収の速さを褒められるのが嬉しかったようだ。)


三味線はお琴の伴奏に使われることが多く、日本舞踊も三味線演奏が多い。でも、大人になって久しく聴いていなかったのに、こんなに三味線の音色が好きだったのかと思うくらい、いろんな感情が揺さぶられ、もう長らく弾いていないお琴で、耳コピで弾けそうな気にすらなる。


でも、不思議なことに、これまでも三味線をベースにした楽曲は世の中にあったと思うが、こういう感覚になったことはなく、作曲の宮田リョウさんEDMのアレンジの良さも相まって、かき鳴らす音色が際立つのかなとも思う。


三味線がここまでできるのかという新鮮な思いと、音色の心地良さを再確認させてくれた坂本さんの演奏の素晴らしさと、宮田リョウさんには、素敵な曲を作ってくれたことにあらためてお礼をしたいくらいだ。



【藤森さんの声質と歌詞力】
楽曲が和風テイストではあるけど、純和風ではない新しい曲調に聴こえるのは、藤森さんの音域の高さや、歌詞の母音を強調した歌い方で、透明感がありつつ、ポップさが出ていることもあるような気がする。


また、この曲の歌詞、和語を連用するセンスの良さが光る。私は、高校まで国語辞典を持ち歩き(勉強好きだったのではなく、言葉をたくさん知りたかった)、今でもときどき校閲の仕事をするほど、言葉の言い回しに興味があるほうだが、この歌詞が紡ぎ出す世界観には本当にびっくりした。


日常使いしないような言葉たちや詩的表現に、いったいどこから、その単語が出てきたのだろう、どこからその語感を見つけたのだろうと思うような、驚きの連続だった。


作詞をされている藤森さんの視点の面白さ、言葉選びの秀逸さに本当に目を見張った。この作詞のためにどれほど言葉を探したのだろうと思うと、その努力の凄さがうかがえるような作詞力で、公式映像にも歌詞テロップを入れてほしいと思うほどだ。

オリラジお二人のダンスパフォーマンス

次に、中田さん、藤森さんの順で、ダンスパフォーマンス面について説明したい。スキルマスターのダンスについては、次の見出しで触れる。


【中田さんの扇子さばきと、身体の柔軟性】
扇子を使った和風の踊りは、大胆さよりもきれいさ出す動きが多く、一見平坦すぎて、素人のかたにはのっぺりと見えることも多い。


でも、RADIOFISHのパフォーマンスの良さは、振り切り度合にあると思う。特に、中田さんが扇子さばきの見事さには驚かされる。


素人のかたで、あの厚さの扇子を触ったことがあるかたは少ないかもしれないが、舞踊用の扇子は肉厚で骨も重たい。踊りながらずっと持っていると、手のひらがけいれんするほど握る力がいる。


しっかり骨の根元を握って、反動を使って勢いよくさばかないと、空気抵抗に負けてしまい、かざしたときにきれいなラインがでなかったり、扇子が途中で縮まって半開きになったりして、しゃきっとした動きが半減してしまうことがある。


中田さんはとても見事に、扇子を体の一部にして踊っている。どれだけ、扇子を使って練習したのだろう。まるでブレなく、扇子が効果的に見えるような使い方が本当に上手い。上手いどころか、全身のシルエットのきれいさが、扇子という小道具があることで、とても映える。


また、間奏でスキルマスター(ダンサーさんたち4人のこと)のソロパフォーマンスを見ながら、御神体のお遊び風に扇子をあおぐ場面も、扇子があるとないでは大きく違う場面だと思った。


舞踊では、刀や、光や、威厳さや、方向を指し示すアイテムとして使われがちな扇子を、本来のあおぐ機能を振りとしてとりいれているのが逆に新鮮で、小道具一つも世界観を生み出すアイテムとして有効活用して、細部へのこだわりがうかがえた。


それから、これは今回特に思ったのだが、扇子を刀替わりにした殺陣のシーン、この中田さんの体重移動と、反動は本当に見事だ。腰の入れ方、ひねり、足幅の広げ方、どれをとっても、きれいとしか言いようがない。


和装でこのくらいの体重の入れ方は、着物では丸見えになってしまうのでなかなかできない。でも、洋服ならではの大きく広げられる足幅によって、足さばきと立ち姿がとても映える。


少し話はそれるが、以前、オリラジとロンブーが陸上対決をしている映像を見せていただいたことがあるが、中田さんの走る姿のきれいさにびっくりしたことがある。


私は学生時代に陸上をやっていたため、人の走る姿を見るのが好きなのだが、中田さんの走りは、股関節と肩関節が軽やかで、膝が高く上がって空中を蹴り上げ、ストライド(広めの歩幅のこと)が広く、腕振りが伸びやかで、一目で足が速い人の走り方だとわかるほどだった。


失礼ながら中田さんは勉強のイメージが強く、スポーツをしてきたかたと思っていなかったが、このフォームのきれいさを見て、フォームができあがる子ども時代に、とてもスポーツができたお子さんだったのではと思い直した。


それで、中田さんの踊りの柔軟性がしっくりきた。股関節と肩関節をしっかりと使ったり、体重移動が的確だったり、反動の使い方がうまかったりする、体の機能をコントロールできる基礎力が生きているとのだと。


そのうえで、芸術性を加えたポージングや、妖艶さを出す指使いがされることで、まるで隙のない、パフォーマンス毎にぶれることにない、安定した振りと美しさが表現できているのだと妙に納得した。


【オリラジお二人の振り入れの完成度】
少し藤森さんの振りについても触れると、オリラジのお二人、武勇伝のときもラッスンのときもそうだが、完璧に振り入れをしている練習量がうかがえるほど、ブレがないきれいさを追求して、それを体に染み込ませているのが伝わってくる。


藤森さんは中田さんの後方にいるとき、マイクを持っていない右手で、部分的に振りをしている。この画面に映りにくい振りをしっかりしている藤森さんに、細部までおろそかにせず、ご自分の役割をきっちり果たす律儀な姿が画面で確認できると、妙に嬉しくなる。


他の5人に比べるとダンスパフォーマンス色は薄いとはいえ、藤森さんの振りが、シャーマンとしての役目として、いいアクセントの働きをしていると思う。オリラジのダンスへの真摯な姿勢は、もともとの専門ジャンルではないだけに、その完成に行きつくまでの道のりや完成度の高さに、時に胸が打たれる。

スキルマスター(ダンサーさん)のダンスパフォーマンス

私の過去のRADIOFISH記事を読んでいるかたは、なんとなくおわかりかもしれないが、私がブログを書きたいと思うきっかけはいつも、4人のダンスの素晴らしさに触発されることから始まる。


先にも書いたが、オリラジのお二人はいい意味でパフォーマンスが安定していて、演出や衣装やメイクは別として、楽曲のパフォーマンス機会ごとの動きの変動要素は比較的少ない。


でも、ダンサーさんたちは、基本的な振り付けが同じでも、そのときの思いがダイレクトに身体能力に出たり、歓声やコンディションによって、動きが都度変わる。


何より、ベースとするダンスの専門ジャンルの違いによって、同じ振り付けでも、4人が全く違うダンスをすることによって輝く個性が、何度見ても本当に楽しい。


全身で踊る姿を見せることで、文字通り身体を張って生きてきた、その生きざまを洗いざらい見せてもらうような思いがして、ダンスが踊れるって素晴らしいスキルだと毎回感動する。


これから一人ずつレビューをしようと思うが、私は個人ごとのソロ動画も好んで見ているが、できるだけ『黄金時代』に限定した、俯瞰した感想を書こうと思う。


格好良く踊るのが本業の4人が、お笑いのパフォーマンスとしてこの楽曲を踊っているのを見ていると、ソロとは全く違う側面や、対比によって際立つ部分が見えてきて、とても興味深い。


もしかしたら、そんなこと書かれても嬉しくないという部分もあるかもしれないが、これもまた、お笑いとしてのダンス中の、見え方の一つと思っていただければと思う。


本当なら動画の先頭から一秒単位で感想を書きたいところだが、自分なりのハイライト的なことにできるだけ絞って書きたい。お一人ずつの分量にばらつきがあるが、これはたまたまのことで、まんべんなくお一人ずつ映像を見返したうえで書いている。


【SHiNさんの少年性のある闘志】
SHiNさんには、ナイスファイト賞(ダサい言いかただが、これしか浮かばない)を差し上げたいくらい、殺陣のシーンの構えのきりっとした表情、助走の勢いの良さ、斬られた後の全身の使い方が本当に素敵だ。


不謹慎な言いかたかもしれないが、少年特攻隊のような、まだ若くて未来もある少年が闘志とともに敵方に突っ込み、空に散ってしまうようなはかなさと美しさがある。


そして何よりSHiNさんの見せ場であり凄いと思ったのは、斬られた後の、空中での足の回転具合だ。


この動きに既視感があって、どこで見たのだろうとしばらくしっくりこなかったが、『PERFECT HUMAN』MVのソロダンス箇所(1分39秒あたり)の足の使い方だとわかった。
PERFECT HUMAN【MV】RADIO FISH/Full ver.紅白発表楽曲


SHiNさんのアカウント名にも入っている、ブレイクダンスの技である「1990」は、片手で逆立ちして回転する動きのことを言うようで、SHiNさんはこの動きを得意とされているようだ(詳しくないので断定はできないが、Twitterなどでダンサーさんによる評判も見かけて)。


殺陣のシーンでは床に手はついていないので、厳密にその技とは言えないと思うが、空中で横っ飛びするときの足さばき、回転のきれいさは本当に見事だ。


助走が長距離であればあるほど、SHiNさんの闘志が伝わるので、TVで見ていた時よりがぜん公式映像のSHiNさんはいいと思った。


また、下側からあおるようなアングルが多いと、SHiNさんの長身で足元さばきのきれいなところが映えることや、ステージが広いほうが圧倒的に伸びやかさが出ると思ったりして、公式映像ならではのアングルで気づくSHiNさんの長所は多かった。


【RIHITO(つとむ)さんの描く直線のきれいさ】
リヒトさんと書くより、つとむさんのほうがしっくりくるので、そちらで書かせていただくが、つとむさんって和風のダンスがとても似合うと思った。


それは、つとむさんが別活動として、TRIQSTAR(トリックスター)のチームで和風テイストのダンスを着物で踊っている場面をよく見るから、先入観もあるのかもしれないが、つとむさんの動きをよく見ると、自分が日本舞踊でやっていたような所作を感じさせられるのだ。


たとえば、手首や手のひら全体の力の入れ方は、つとむさんが圧倒的にきれいだ。洋風のダンスは、こういう手先、指先に集中するような力の入れ方をしないのかもしれないと、つとむさんを見て気づいたくらいだ。


他に見せ場がないというわけではないが、わかりやすく書くと、つとむさんの描く直線のきれいさは、公式動画の先頭から20秒めのロックダンスに入るまでの間に、かなり凝縮されている。


冒頭で、忍者のごとく位置移動するときの腕のまっすぐとした伸び、立ち姿のシルエットのきれいさ、藤森さんの後ろで腕を上げていき、手をきれいにそろえ最後に手首を弾くところ、後ろに下がる場面での、きれいな腕のひきかたなど、ひじを伸ばし、指をそろえる直線的なラインがでる動きが、つとむさんは本当に映える。


そのほかにも、歌舞伎でいうところの「見得を切る」ポーズの、手のひらでのメリハリのつけかたや、殺陣の場面での待ち姿など、部分停止するような場面での決めポーズがいつもきれいだ。


つとむさんはキャラクター的に朗らかなため、ぐにゃぐにゃしたダンス箇所のインパクトが強かったが、この黄金時代ではつとむさんが基本の振りに忠実で、きれいに踊るかたなのかもと見方を変えたくらいだ。


偶然かもしれないが、私が過去観たいろんなライブや映像などで、振りミス(すみません、細かくて。悪口ではないです)を一度も見たことがないのはつとむさんだけで、正確で安定感があるかたなんだなと思っていた。


ソロの箇所は別として、全員で同じ振りをするときは、チームとしての全体のバランスをとても重視していて、極端に目立つ動きをしていない印象もある。


それでなんとなく、安定したベースラインのきれいさを維持しているのは、つとむさんの女性性を持った、直線的なダンスの部分ではないかという気がしていた。


ソロ以外の箇所で、大振りで観客の目を引く動きをあまりしないためか、なかなか映像でそのラインのきれいさが映りにくいが、逆を言うとどのタイミングでつとむさんを映しても、指先に神経が行き届き、ポージングが安定し、もれなくきれいな映像だと思っている。


女性性という言葉を補足すると日本舞踊的な目線では「男踊り」「女踊り」と分かれていて、今回のRADIOFISHのダンスは、男性性が出ているのはSHiNさんとFISHBOYさん藤森さんで、女性性はつとむさんとShow-heyさんと中田さんだ。指や首使い、立ち姿、脚の角度や腰の入れ方の微妙な違いなどで、どちらに見えるかの印象はがらりと変わる。


【Show-heyさんの視点を中心に集める動き】
Show-heyさんのRADIOFISH以外での活動のダンスを見れば見るほど、格好良さを生み出す職人ともいえる、Show-heyさんがこんなにコミカルなダンスをしていることのおかしみが増す。


とはいえ、一般のかたはそういう見方をしていないと思うので、あえてこの楽曲だけの、俯瞰した映像の印象で書くと、Show-heyさんがこの全員でダンスをするときは、ダサめの振り付けのほうがとてもキャッチーに映る。


いい意味で身長を生かすようなコンパクトさを出す動き、華奢で可憐で、実際よりもより小さく愛らしく見える動きのほうが他の5人との対比で、ふとしたときに、はっとする。視線を中心に集めるような、シルエットが小さければ小さくなるほど、インパクトが強くなるのだ。


特に、「信長?家康?否 中田」の歌詞あたりで、『PERFECT HUMAN』の中田さんの、マイクを持って首をかしげる箇所、ここのShow-heyさんのキュートさは全員との対比で、格段に引き立ち、チームに一人、女子が紛れ込んでいるような感じすらする。


また、もはや振りといえるのか、全員が中田さんに向かってうつむきながら手を弾く箇所のShow-heyさんは、いやいやをしているような子どものような感じに見えて、中田さんの後ろにいて必ず映る箇所でもあり、見るたびに妙に面白いと思ってしまう。


でも、さすがに魅せ方がうまいShow-heyさんだと思ったのが、ソロダンス箇所だ。後方から手をついて、足元から前方に繰り出して立ち上がる場面は、検索ちゃんのときも、立ち上がった瞬間にうわっと思い、パフォーマンス全体で一番印象に残った箇所かもしれない。


この一瞬でShow-heyさんの曲中の印象ががらりと変わるくらい、この箇所のインパクトは大きい。ソロダンスはカットしないほうが、ダサさと格好良さの対比が際立ち、楽曲内のダンスに抑揚が生まれて、面白さが増すような気がする。


Show-heyさんのこのダンスを見てふと思い出したのが、矢口真里さんの「セクシービーム」や、中居正広さんの『青いイナズマ』でひゅんと軽やかに、高くジャンプする姿だ(例が古くてわからないかたは、動画などを探してください)。身長とパフォーマンスのインパクトにギャップが生まれたとき、それは強烈に印象に残り、忘れがたい一瞬になる。


Show-heyさんは、一気に時を進めるごとく、ひゅん、と一瞬で人の印象の総取りする動きができる凄いスキルがある。


楽曲中の大半の時間は、可憐に斬られたり、いやいやをしたり、女性っぽい華奢に見える動きが多いが、そこを逆手にとって相手を油断させておいて、ここぞという一瞬に一刀両断して立ち去るような動きを、これからも極めてほしいと思う。


【FISHBOYさんは時間を止めながら跳ぶ】
FISHBOYさんの時間を止めたり、空気を重くする力は、どのダンスパフォーマンスで何度見ても不思議でならないが、この楽曲中の殺陣での玉砕っぷりは、見事としか言いようがない。


ちなみに、「玉砕」は「自爆」という意味でとられがちだが、本当の意味は、「玉のように美しく砕け散ること」で、全力で戦う潔い死に方を表す。


まさに、FISHBOYさんの砕け散りかたは、散る瞬間の美しさがある。そして、静止画をコマ送りするかのような、時間の止めかたをしている。確実に今、時間が止まった、と思うような時間のねじれを感じる。


滞空時間といえばいいのだろうか。斬られた瞬間に横っ跳びしながら、空中にしばらく身体が浮遊し、存在していると思うくらい、そこに留まっている。


冷静に見れば、首とか背筋の支える力を感じるような動きだが、なぜか身体の特定部位に負荷をかけているような動きには見えず、どこかで一時停止ボタンを押しているのではないかと錯覚するくらいなめらかな場面で、最終的には凄いとしか言葉が出てこない。


また、FISHBOYさんの見得を切る場面を初めて見たとき、歌舞伎のような荘厳な舞いが似合うのではないかと以前から思っていたのが実現して、これだと思った。


どこがそうなのかと考えると、見得を切るために手をパーンと開くところや、最後に首を回してにらみをきかせるところが、FISHBOYさんの専門ジャンルのダンスと親和性があるような気がしたからだ。


先に、つとむさんの見得を切る場面の話を書いたが、つとむさんは和風ダンスの経験値の多さからこの振りをきれいにこなしているように見えるが、FISHBOYさんはこの動きをやってみたら、想像以上にはまっていたという感じがする。


あっているかどうかわからないが、FISHBOYさんのダンスは、筋肉の弛緩と緊張のバランスを使い分け、筋肉を弾いたとき視覚的なインパクトのピークを持ってきているような気がする。だから、メリハリがはっきりした舞いであればあるほど、持ち味が生きる。


そして、FISHBOYさんの首の強さや回し方は、抜群にいいなと思う。首を回す動きで、ここまで人の目を惹きつけることができるんだと思うくらい、首の動き一つで威圧感を出している。首の使い方が本当にうまいと思う。


そういえば先日のラジオで、ダンス未経験のゲストのかたに、上手く踊るコツを聞かれていて、しばらく考えたFISHBOYさんが答えたのは「首の使い方」だった。


ダンスを始めた中学時代、思春期にありがちな考えで腰パンとか猫背を格好いいと勘違いしていたが、「姿勢のいい」外国人を見たことで、この格好良さってどこから来るのだろうと考えるようになったという。


それを聞いたとき、ああ、だから首を中心にすえるかのような、身体の中心の一本柱を感じさせる立ち姿なんだと納得した。それで、さっきの跳ぶシーンも、背中にある支柱の揺らぎなさで静止画のように見えるんだと、霧が晴れるような思いがした。


【最後に】
これほどの言葉を尽くしても、RADIOFISHのパフォーマンスの良さは語り切れない。


それでも無知をさらしながら、少しずつ理解できたことを書こうと思うのは、一人ひとりのパフォーマンスに感動し、さらに6人全員そろったときの完成度の高さに、エンタメの力を感じるからだ。


気づけは、最初に記事を書いてから半年経った。
書いたことによって、この半年で少しは理解が進み、RADIOFISHの素晴らしさを伝えることができているといいのだが。


これは何だろう、どこが素晴らしいのだろうと、自分が謎解きをするごとく知りたいと気持ちが続くうちは、動画を見て、また飽きずに書き続けるのだと思う。


演者としてのRADIOFISHに、常にパフォーマンスへの感謝と、リスペクトを込めて。


では、また。

【コラボブログ:SMAPとココカラ】(54)草なぎ剛さんに言葉の花束をー草なぎ剛さん記事まとめ2

こんにちは、検索迷子です。


今日は、昨年の草なぎさんの誕生日に書いた2016-07-09 草なぎ剛さんに言葉の花束をー草なぎ剛さん記事まとめに、記事を追加したパート2として、草なぎさんのことを書いた全70記事を一気にご紹介する。


草なぎ剛さんの主演ドラマ「嘘の戦争」が終わり、草なぎさんの魅力を再確認したいかた、嘘の戦争ロスのかた、新たにファンになったかたもいると思うので、何かのご参考になればと思う。

草なぎさんのまとめ記事の傾向

自分の記事のおすすめポイントを、あえて書いたことがなかったことはなかったが、記事が多いので簡単に傾向を説明しておく。


私が草なぎさんの話題に言及しているのは主に、身体能力、声、言語感覚、書籍、出演作についてだ。


特に、これは誰もここまで書いていないだろうと思うのは、2年連続で『一本満足バーCM』のダンスレビューを大真面目にしている記事だ。
2015-10-10 (41)草なぎ剛さんの『1本満足バーCM(90秒篇)』のダンスと面白み
2015-10-16 草なぎ剛さんの中心軸


ミクロな話題を大きく膨らませて感想を書く、という自分のスタイルのなかでも、よくこのテーマを選んで書いたなぁと我ながらびっくりする。


Twitterのタイムラインでどんどん流れる情報とは違い、こういう記事がネット上に記録として残り、ずっと読まれていくんだと、反響によって書き残す意味に気づかされた記事でもある。


私が草なぎさんを集中的に書くようになったのは、ダンスパフォーマンスがきっかけだった。
そして、最近ではRADIOFISHのダンス記事も書いているので、どうやら「ダンスのように文字化が難しいもの」の美しさに感動して、それを深く書きたくなる習性があるようだ。


と、セルフで記事解説しはじめるときりがないので、気になったものからお読みいただければと思う。

2015年9月から1年3か月書いてきた時間と、今年に入っての思い

あらかじめお断りしておくと、嘘の戦争のレビューは残念ながら書いていない。


お気づきのかたもいるかもしれないですが、今年、SMAPの話題をブログで書けずにいた。
ときどき、もうSMAPは書かないんですかとか、次を楽しみにしているというお声がけをいただく。


あるとき、自分のブログで書いた話をネット検索していた際に、たまたま「検索迷子 嘘の戦争」と私のレビューを探してくださっているかたの検索履歴をみかけ、そんなにピンポイントで望んでくださるなんてと申し訳ない気持ちになった。


正直に書くと、昨年末のスマスマ以降、私は彼らを映像でほとんど見ていない。
テレビもそうだし、Twitterに流れてくるものも含めて、ごく一部しか動いている彼らを見ていない。


全員のラジオは欠かさず聴いていて、その感想を番組後にTwitterでつぶやくことはあっても、記事の形にはできていない。


年末のスマスマのあと、メンバーそれぞれのラジオが続いて、31日の中居さんのメンバーの名前を呼ぶ声を聴いたときから、あのせつない絶叫がずっと頭のなかに鳴り響き、胸が締めつけられ、そして、時計が止まってしまった。


彼らは元気に活動をし続けているのだけど、自分のなかで書く対象としてどんな距離感で書いていいのか、しっくりとこないまま3か月近くが経った。


過去懐古の話題を書くほど過去の人なんかではないし、でも、今を書くには心が追い付かない。


そんななか、コラボブログを一緒に書いている、「剛 しっかりしなさい!」のブログ運営者である、凪(なぎ)さんの、嘘は銭を超えてゆくを見て、ふと、自分はずいぶん草なぎさんの記事を書いてきたんだと思い出した。


いつ新しい記事を書けるかはわからないが、時計を少し動かすためにも、まとめ記事をアップすることにした。


もともと全くテレビを観ないので(テレビを観る予定をスケジュール表に書き込むくらい、テレビをつける習慣もなく、今年の視聴時間は10時間にも満たないと思う)、スマスマが終わったことで、ますますテレビ離れが加速した気がする。


とはいえ、嘘の戦争の評判の良さを見るにつけ、これを観なかったのは損失だったかなと思うこともある。


冗談半分に書くと、もし奇特なかたがいて、全映像を提供してくださってまでレビューをといっていただけたら、そのときは依頼されたこととして真剣に取り組もうと思う。


70記事も草なぎさんを書いたというボリューム感に、我ながらびっくりし、ここまで一人の人のことを深く見つめてきたのかと、内容のクオリティはさておき、書き続けてきたことに何か意味を感じる。


SMAPのこともそうだが、一番長い時間をかけて綴ってきた草なぎさんのことは特に、クラウドファンディングで資金を募ったり、私家版としてでも再編集し直して一冊にしたいという気持ちはずっとある。もちろん、丁寧に作るなら仕事となるのがベストだと思う。


自分の気持ちだけが無償ブログを書くモチベーションのため、2015年9月から2016年12月までのような濃度で書くのは、スケジュールを決めた仕事にしていかない限り、今後はないかもしれない。


ただ、草なぎさんの精神の透明度と、身体能力の素晴らしさを記録し続けてきた時間は、私の人生の一部でもある。
それだけは間違いのない事実。


そして、その草なぎさんやSMAPを考えてきた言葉の束を、いつかは本の形に残したいと思っている。


過去自分が書いてきた記事を、こうして突き放して見られるようになったのもここ最近だ。
彼らから学んだことや存在の大きさは、駄文であろうと、確かに時代を記録する豆粒くらいの役割にはなると思い、しっかりと残し続けていこうと、ときどきTwitterなどでも再投稿している。


私が書いた言葉で、草なぎさんやSMAPのことがもっと好きになる、そう思ってもらえる言葉の粒を、空中に放てる一人でありたい。


環境がどうなろうとも、SMAPの美しさは、揺らがない。



では以下に、2015年9月から2016年12月までの記事リンクをご紹介します。
上から新しい記事になっていて、書いた年月ごとになっています。


タイトルに草なぎさんの名前がない記事でも、記事内で言及しているものを一覧にいれています。

草なぎ剛さん過去記事まとめ

2016年10月
2016-10-31 草なぎ剛さんと香取慎吾さんのラジオ番組で語られたRADIOFISH
2016-10-10 (41)草なぎ剛さんの『1本満足バーCM(90秒篇)』のダンスと面白み


2016年9月
2016-09-12 (39)草なぎ剛さんの『イケメン登山部』での魅力
2016-09-08 SMAPの楽曲は、彩りを添えて進化し続ける
2016-09-12 (37)草なぎ剛さんは空気を浄化する


2016年7月
2016-07-09 草なぎ剛さんに言葉の花束をー草なぎ剛さん記事まとめ


2016年6月
2016-06-26 (27)草なぎ剛さんと香取慎吾さんのラジオ番組の語り口に思うこと
2016-06-16 草なぎ剛さん出演映画へのさりげない評価
2016-06-10 草なぎ剛さんの韓国語での人格


2016年5月
2016-05-20 (20)草なぎ剛さんの『5月の風を抱きしめて』を聴きながら
2016-05-04 「ゴロウデラックス」での、草なぎ剛さんのホスピタリティ


2016年4月
2016-04-28 草なぎ剛さん著『Okiraku 2』での「和顔愛語」の精神
2016-04-12 草なぎ剛さんの『Okiraku 2』での、お花の話題
2016-04-08 草なぎ剛さんの『Okiraku 2』読了直後


2016年3月
2016-03-17 草なぎ剛さん主演「スペシャリスト」での全身の演技
2016-03-12 (12)草なぎ剛さんに、いちめんのなのはなを
2016-03-02 草なぎ剛さん主演ドラマ「スペシャリスト」感想まとめ


2016年2月
2016-02-26 草なぎ剛さんの「スペシャリスト」での少年性
2016-02-24 草なぎ剛さんが「スペシャリスト」で見せる軽やかさ
2016-02-11 草なぎ剛さん主演「スペシャリスト」の感想と見どころ
2016-02-04 草なぎ剛さんの「スペシャリスト」の卓越した演技
2016-02-02 草なぎ剛さんの「コップのツヨ子」の見どころ

2016年1月
2016-01-30 (6)SMAPの体温を感じるパーソナルスペース
2016-01-14 草なぎ剛さんの「スペシャリスト」の声
2016-01-13 SMAPさんと与えあう生命と潤い

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2015年12月
2015-12-30 草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(6)
2015-12-29 草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(5)
2015-12-28 草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(4)
2015-12-27 草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(3)
2015-12-17 草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(2)
2015-12-16 草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(1)
2015-12-12 草なぎ剛さんの静と動の役割
2015-12-09 草なぎ剛さんの「いい違和感」を伝える言葉
2015-12-07 SMAPさんの『雪が降ってきた』の息遣い
2015-12-04 SMAPさんの『Otherside』の重なる声


2015年11月
2015-11-24 草なぎ剛さんの記憶を引き出す言葉
2015-11-23 草なぎ剛さんの「いいよ。」の返事
2015-11-22 草なぎ剛さんの天使の翼
2015-11-21 SMAPさんの呼称の揺らぎと関係性
2015-11-19 草なぎ剛さんの股関節の柔らかさ
2015-11-18 草なぎ剛さんのプラスに転化させる言葉
2015-11-16 SMAPさんの距離感
2015-11-15 草なぎ剛さんの走る姿
2015-11-13 草なぎ剛さんと木村拓哉さん
2015-11-10 草なぎ剛さんの『あなたへ』のそのあと
2015-11-09 草なぎ剛さんの手当ての力
2015-11-07 草なぎ剛さんのたたき込む力
2015-11-04 吉野弘「夕焼け」
2015-11-03 草なぎ剛さんの「はじめに」の言葉
2015-11-02 草なぎ剛さんの声と表情筋


2015年10月
2015-10-30 草なぎ剛さんのギャップイヤー
2015-10-28 高橋しん『いいひと。』の限定配信
2015-10-22 笑う能力の詩
2015-10-19 草なぎ剛さんの語調
2015-10-16 草なぎ剛さんの中心軸
2015-10-14 ジーンズの詩
2015-10-11 草なぎ剛さんの反動
2015-10-10 草なぎ剛さんの鎮める声
2015-10-08 草なぎ剛さんの繰り出す力
2015-10-06 草なぎ剛さんの息が合う存在
2015-10-04 草なぎ剛さんのサイン
2015-10-03 草なぎ剛さんの筆跡
2015-10-03 草なぎ剛さんの誰かを呼ぶ声


2015年9月
2015-09-30 草なぎ剛さんの声と胸筋
2015-09-28 草なぎ剛さんの声の距離感
2015-09-19 草なぎ剛さんのファンの温かさ
2015-09-12 草なぎ剛さんの指先
2015-09-05 草なぎ剛さんの可動域


2015年8月
2015-08-15 戦争を語る本、DVD 映画


2014年10月
2014-10-03 Reading 『椿姫』with 草なぎ剛〜私が愛するほどに私を愛して


では、また。

コラボブログ主旨について

ブログ主旨については、下記にリンク先を掲載している。
【コラボブログ:SMAPとココカラ】(2)SMAPとファンは、もはや一つの組織の最下段、【コラボブログ:SMAPとココカラ】(4)木村拓哉さんの自己犠牲の精神の序盤で紹介している。

オリラジにクリスマスに贈った、ファンブック初公開

こんにちは、検索迷子です。


今日は、2016年12月25日のクリスマスの日に行われた「オリエンタルラジオ トークライブ」後の握手会で、オリラジのお二人にプレゼントしたファンブック(再編集版PDF)を初公開します。


このファンブックは、オリラジ、RADIOFISHファン有志による作成で、私は寄稿者として参加させていただきましたが、当ブログで初公開してほしいという依頼を受けて、僭越ながらご紹介させていただきます。


実際にお二人にお渡ししたものは、冊子形式です(非売品)。
内容は、中田さんと藤森さんにお渡ししたものは別々で、クリエイターさんの作品とファンのアンケートにより構成されています。


私が寄稿したコラムも、真ん中のブロックが個別に違っており、初めてお一人ずつを深く書いた文章となりました。


ご本人に宛てつつ、公開が前提のラブレターもどきを書く恥ずかしさはありましたが、今日はファンブックのご紹介に留め、文章を書いた時の気持ちは、後日、別ブログで書こうと思います。


オリラジのお二人は、今日の公開によって初めて、お互いの冊子の内容を知ることになるのかもしれませんね。

ファンブックをお読みになる際のお願い

公開までに2か月を要した諸事情があり、いっときは公開をあきらめていました。
でも、編集人とクリエイターさんたちの粘りによって、本日の公開に至りました。


堅苦しくてすみませんが、編集人のかたに代わって、簡単にお願い事項をご案内します。
詳しくはPDFの1ページめをお読みください。


データは、2017年3月末日までの期間限定公開とさせていただいています。


当冊子はオリラジお二人に、企画意図をお伝えしたうえ手渡し済みのため、内容に関するお問い合わせはお受けできかねます。


公開にこだわってきたのは、事前アンケートにご協力いただいたファンのみなさんに結果をお知らせし、RADIOFISHメンバーにもお見せしたいという気持ちがあってのことでした。


そのため、主旨をご理解いただき、私的利用以外の目的でのご使用は、なさらないようお願いいたします。


前置きが長くなりましたが、それでは下記リンクより内容をお楽しみください。

オリラジファンブック(再編集版)URL

それぞれ35ページあります。
スマホでも読めますが、文字が小さく全体的に読み応えがあるため、一気に読みたいかたはタブレット、PCなどでもどうぞ。


ファンブック(中田敦彦さんVer)
ファンブック(藤森慎吾さんVer)



トークライブ当日、お二人に手渡しする姿をすぐそばで見ていましたが、「嬉しい、嬉しい」と言うお二人の声が聞けて、この一言をもらえたことが最高のご褒美だと、編集人とクリエイターのかたと歓喜しながら会場を後にしました。

編集人、クリエイターのかた、ファンのかたに

私が代表して書くような立場ではありませんが、編集の中心人物となったかたたちは奥ゆかしくて、そのご苦労を語ることは今後もないと思うため、あらためてこの制作の裏話を書いておきます。


オリラジのお二人に喜んでいただきたいという信念のもと、企画立案から、アンケート回収、クリエイティブ面でのディレクション、製本や制作や各種対応など、すべての大変さを引き取ってくださった編集人のかたと、代表クリエイターのお二人に心からお礼を申し上げます(お名前を書きたいところですが、たぶん恥ずかしがってしまうので割愛させていただきました。企画者欄をご参照ください)。


オリラジ、RADIOFISHメンバーがいろんな逆境を乗り越えて結果を出してきたように、自分たちも冊子を作り切ろう、Web公開をやり切ろうとお互いを励まし合ってきました。誰一人が欠けても、この一連の制作は実現しなかったと思っています。


プレゼント作成や、トークライブで手渡す直前まで降りかかった難題、今日のブログ公開前の共同作業などで、何度もやりとりしてきた時間は、個々の才能を持ち寄るような感じがして、とても濃い時間でした。


そして、アンケートにご協力いただいた、オリラジ、RADIOFISHファンのかたにも、こんなに熱い思いを、詳細に書いてくださってありがとうございました。


オリラジが読むからしっかりアンケートを書きたいと、Webのアンケートフォームが一時保存できるタイプだったこともあり、何日にも分けて再編集し直し、過去の出演作を見返し、できるだけ具体的に記入したという声をたくさん聞きました。


アンケートの回答がものすごく濃厚なのは、こうして一人ひとりが考え抜いてくれたファンのかたの思いの結集だからなのです。


みなさんの愛情に胸が熱くなり、完成した冊子を見ながら涙ぐんでしまいました。
私が書いた巻頭の薄っぺらい文章が恥ずかしくなるくらい、深く、長く、オリラジを見つめてきた時間や、オリラジのことを見守り続けたいというお気持ちが伝わりました。


その応援の気持ちが、オリラジのお二人、そしてRADIOFISHメンバーにも、どうか伝わりますように。


そして、またどこかでお会いした際に、この冊子の感想をお聞かせいただけると、編集人もクリエイターも今後の励みとなります。


個人的にも、拙文に素敵なイラストをつけていただいたのは本当に嬉しく、完成した冊子と携わった時間は、私の宝物となりました。


RADIOFISHを書き始め、一つずつを積み重ねるように、書き続けて良かった。
私でいいのかという戸惑いからスタートしたファンブックでしたが、携われたご縁を大切にしたいと思いました。


それから、2月26日のトークライブ、外れてしまってすぐにあきらめて、チケット探しをしていなかったのですが、お優しいかたにお声がけいただき行けることになりました。


RADIOFISHを書き始めたことで、優しくしてくださるかたが増えて、嬉しい限りです。
書くことでしか応援できませんが、書くことで人が優しくしてくれる経験をたくさんすると、これが私にできる唯一の応援の形なんだなと再確認できて、とても励みになります。
感謝の気持ちは、新しい文章を書くことで返していきます。



ファンブックという、応援の思いを視覚化できるものを作れて、本当によかった。
オリラジのお二人と、RADIOFISHのメンバー、ファンのかたに、深く感謝。


では、また。

FISHBOYさんとShow-heyさんのショーケースでの輝き

こんにちは、検索迷子です。


気づけば、今年一度もブログを書いていなかったが、いろんなメディアに触れるたびに、感想をメモしたり、脳内で文章を組み立てたりしていた。


SMAPやRADIOFISHのことなら、どこまでも書けるくらい感想のストックはあるが、オンタイムで文字化しなかったものもいずれ、違う形で披露できるときがくるような気がしているので、過ぎた時間は気にせずに行こうと思う。


今日は、RADIOFISH(レディオフィッシュ)のスキルマスター(RADIOFISHでのダンサーさんの呼称)として活躍されている、FISHBOY(フィッシュボーイ)さんとShow-hey(ショーヘイ)さんが、1/14(土)に出演されたショーケースの話題に触れたい。


あらかじめお断りしておくが、この文章は14,000字ほどある。
クラブイベントの記事を初めて書くゆえの補足事項も多く、記事を分割したくないため一気に書いた。でもそれは私の都合なので、どうぞ負担のないよう飛ばし飛ばし読んでください。


記事の構成は、イベント概要、当記事を書くにあたっての背景や、行くまでのいきさつを先に書いている。FISHBOYさんとShow-heyさんのパフォーマンスやエピソードをとにかく読みたいかたは、見出し3.までスクロールして、興味のあるところだけでも読んでいただければと思う(見出しは8.まである)。


続けて、クラブイベントに行くことに躊躇するかたに向けて、ちょっとした補足事項や感想、最後に、FISHBOYさんとShow-heyさんへのお礼を書いている。

1.eggmanでのクラブイベントの概要

私が行ったイベントは、2017年1月14日(土)深夜にeggmanで行われた、「GKKJ PRESENTS「EXPRESS vol.8」」だ。


このイベントは、Show-heyさんが所属しているGKKJ(下剋上)が主催する、若手ダンサーの登竜門となるコンテストで、10チーム強のなかから優勝チームが、川崎クラブチッタへの出場権を勝ち取るというものだった。入場時に投票用紙をもらい、観覧しつつ審査するというスタイルで、プロダンサーさんのイベントとはまた異なるものだったようだ。


なお、Show-heyさんは、昨年末にGKKJを卒業という形はとられたようだが、当日MCを務めたYASさんが、「高校を卒業して、大学に行ったようなもの」と表現されていたので、パフォーマーではない形で今後も関わっていかれるのだと理解して、「所属している」という書き方をした。


FISHBOYさんとShow-heyさんは、そのイベントのなかで、[MONSTERZ]というポジションで、ベテランダンサーさんとしてダンスパフォーマンスをするという位置づけだった。当初、[MONSTERZ]というのがお二人のユニット名かと思ったら、このイベントの各回ごとに、[MONSTERZ]のダンサーさんがいるようで、スペシャルゲストダンサー的な言いかたなのだとわかった。


ここではRADIOFISHファンのかたに向けて主に書いているため、ダンスに不案内な私は、イベントそのもののことは触れないが、夢も希望もある若手ダンサーさんのパフォーマンスも、ダンスがわからないのに審査をしていいのだろうかと思いつつも、どのチームも楽しんで見せていただいた。


技術面はわからなくとも、心に響くものがあるかどうかという基準だけでも、十分違いが伝わってきたような気がする。また、コンテストならではのプロダンサーさんからの講評タイムも、大きなステージに立つ覚悟、チームとしてのダンスのありよう、細部へのこだわりなど、熱い思いが伝わって来た。


自分はプロとしてダンスをすることなどないだろうが、何か、人生の先輩から、プロとしての普遍的なものを教わるような気持ちになった。プロとしてお金がもらえるレベルのダンサーになることやダンスの世界の厳しさに、わずかでも触れられたような思いがした。


そして、完全一致の環境ではないかもしれないが、これがFISHBOYさんやShow-heyさんが生きる、ダンサーとしてのファーストステージにあたる場所なんだなと思った。

2.公式映像がないからこそ、現地に行った感想を書き残す

これから書く感想をブログに書くかどうか、しばらく迷っていた。
というのは、RADIOFISHファンのかたも現場にそれほどいなかった、深夜のクラブイベントでもあり、読んでくださるかたに共感されにくいだろうかと思ったからだ。


また、公式映像がないものは、文章とともに反芻がしにくいこともあり、もともとあまりブログでは触れないようにしている。私自身、知的財産管理技能士という国家資格を持っているため、著作権、肖像権には慎重でありたいと思っていて、自分では写真も映像も所有していないし、仮に持っていてもブログには使わない理由はそこにある。


映像がない分、書く力も問われる。それでも、書こうと思うきっかけがあった。
ひとつは、RADIOFISHの新規ファンのかたたちの存在だった。どこからが新規というのかは難しいが、秋口のジョジョのコスプレをテレビで観てRADIOFISHが気になったかた、と言えばいいだろうか。


ライブイベントやフェスなどはもう終了していて参加できなかった、または、地方在住で行けなかったというかたと、今月に入って何人かとお話しする機会があった。


それはTwitterや、FISHBOYさんのラジオの観覧後に、初対面ながらお食事をしたかたとの時間だったりした。RADIOFISHの情報をもっと知りたいというお気持ちを聞きながら、公式映像が残らないクラブイベントだからこそ、自分の内面だけに感想を留めてしまうのはもったいないかもと思ったのだ。


また、最近のブログのアクセス状況を見ていると、RADIOFISHの過去記事をまとめ読みしてくださるかたが増えて、新しいファンのかたが増えていることを体感している。記事数は多くなくとも、長期的に読まれていくものを残しておいて良かったと、書いて数か月経った今、実感させてもらえることが増えた。


イベント直後にコンパクトな感想は、既にTwitterでいくつかつぶやいたため、もう書かなくてもいいかと思っていたが、ブログだからこそ、こんなにこってり書くのかという路線で、周辺のことも可能な限り書こうと思っている。

3.FISHBOYさんとShow-heyさんに、背中を押してもらえた

もう一つの書こうと思った理由は、単純に、FISHBOYさんとShow-heyさんのパフォーマンスが素晴らしくて、書き残したいと思ったからだ。


お二人のダンスを見た直後、その余韻でしばらく放心状態になり、何日も高揚感が収まらなかった。実は、お二人とはダンス直後のDJタイムの際に、フロアでお話をさせていただいたが、その際はぼんやりしすぎて、感想をお伝えすることができなかった。


帰路、脳内反芻をしていたら感動が蘇ってきて、深夜というか早朝にも関わらず、Twitterでお二人にお礼を言いたいと思って感想を送ったくらい、インパクトが強かった。感動が止まらないという状況が、後から後から湧いてきた。


もともとこのイベントに行くかどうか、もの凄く迷っていた。告知直後からずっと気になっていながら、クラブイベントの敷居の高さがどうしてもあった。


何人かのかたにお声がけしたが、みなさんと都合が合わず、さて、どうしようと思っていた。一人でも行きたいの、自分?と悩んでいた。


と、そんなタイミングで、1月10日(火)のFISHBOYさんのネットラジオ番組の観覧に行った際、Show-heyさんが放送終了1分前に突然、来られた。


ダンスイベントから話が脱線するが、FISHBOYさんのラジオにご興味があるかたもいると思うので、少しその場の話も書いておきたい。


気づいたら隣に、ドアに顔をくっつけて中を見ている、熱狂的な人がいるなぁと思って見たらShow-heyさんだった。しばらく、FISHBOYさんに気づいてアピールをするかのように、かわいらしく首をかしげながら中を覗き込んでいて、観覧のかたたちと大盛り上がりしてその姿を見ていた。


すると、FISHBOYさんがガラスのドア越しにいるShow-heyさんに気づき、中に招き入れた。このスタジオは、コンビニのドアによくあるようなガラスの引き戸で、ドアを開けて50センチくらいですぐDJ用のソファーというコンパクトなサイズで、出入りする姿が丸見えだ。観覧は、外に立ってガラス越しに見ていて、少し声を張れば外の声がFISHBOYさんにも聞こえる。


ちなみにこの時、「へい様ー」と叫んだ観覧の声(一番大きいのは確実に私の声、、と再放送を恐る恐る聴いてわかった。ボイトレで鍛えた声量で思いっきり叫んでいた)がもの凄く響いたのは、ちょうどShow-heyさんが、引き戸を引いて中に入ろうとドアを全開にしたタイミングで、ダイレクトに声が電波に乗ってしまった。普段はあそこまで声は入らない、はず。。と言い訳)。


その日最後の放送時間帯だったこともあり、番組ディレクターさんが番組放送時間を少し延長してくださった。それでShow-heyさんが急遽出演となったのだが、FISHBOYさんとGKKJのイベントの打ち合わせのためにここに来た旨と、イベントの告知をされていた。
(ラジオ番組:ソラトニワ原宿『DANCE DANCE PLANET 〜"Hi" Of THE FISH〜』)(Twitterハッシュタグ #soraxniwa 通称:ダンプラ)


番組終了後、FISHBOYさんのご配慮でShow-heyさんとも少しお話しできたが、このとき、Show-heyさんが告知に来られて、少しお話しをしたことで、たとえ同行者が見つからなくても、GKKJのイベントに行こうという気持ちが固まった。今目の前にいる、このお二人のダンスが見たいとシンプルな結論が出た。


この日、Show-heyさんが来なかったら、たぶん私は一人で行く勇気はなかっただろう(後述するが、私は結局一人でイベントに行き、現地で知っているかたたちに会えた)。


Show-heyさんが告知する姿を見ながら、クラブイベントにいく敷居の高さよりも、自分がお二人のパフォーマンスを見たいかどうかなんだなと単純に思った。何人かのかたに行きませんか?と聞いていた時点で、自分の行きたい気持ちはわりと固まっていたのだろう。


たぶん、FISHBOYさんがよく話をされている、「RADIOFISHとソロのダンスは、別の表現方法」といったニュアンスがどういうものか知りたいというのと、Show-heyさんやFISHBOYさんの、ダンサーさんとしての基盤を作ってきた、ホームともいえる場所でのソロのダンスを、一度は生で見たいという気持ちがずっとあったのだと思う。


Show-heyさんが観覧の場に来てくださったことで、ソロを見てみたいというスイッチが、瞬時にパチンと入った感じがした。Show-heyさんに、自分のやりたいことや見たいものに素直になっていいんだと、背中を押してもらえたようで、そんな簡単なことに気づけなかった自分の行動力のなさに気づかせてもらえた。


この日、「イベントのために打ち合わせをこれからする」というお話を聞いて、ああ、お二人は最高のパフォーマンスをするために、忙しいなかきちんと準備をされるんだなぁと思うと、イベントにとてもリアリティーが増した。


それでふと、当日のパフォーマンスは、後日、映像で販売される類のものではなく、その日しか見られないもので、自分の目で見るしかない「その日限りの数分のダンス」なのだと気づいた。


素晴らしいパフォーマンスを見る場に誘ってもらえて(個人的に誘われたわけではなく、告知をそばで聴いていただけだが)、行かずに後悔することにならなくて良かったと思った。


では、いろいろ周辺説明が長くなったが、やっと、イベント当日のお二人のダンスの感想に触れる。

4.お二人のダンスパフォーマンスと、コラボダンス

お二人の出番の前に、MCのYASさんからそれぞれのプロフィールの簡単な紹介があった。このとき、FISHBOYさんの紹介の最後の一言が「日本を代表するダンサー!」だったのを聞いて、改めてFISHBOYさんって本当に凄い人なんだなとしみじみとした。


普段、情報として凄さを知っていても、プロダンサーさんが紹介する「日本を代表する」という一言で、より凄さを実感したという感じだ。そして最後に「From RADIOFISH!」という掛け声がかかったとき、ああ、お二人は「RADIOFISH」というチームの一員なんだ、そのお二人が一緒に踊るんだとなぜかじーんときてしまった。


この日のダンスは、5分程度の長さだった。
最初にコラボ、次にFISHBOYさん、Show-heyさんの順でソロ、またコラボになり、Show-heyさん、FISHBOYさんの順で再びソロ、最後はコラボで終了という流れだった。


最初に登場してダンスを始まったとき、あれ、Show-heyさんってこういうダンスをするんだと意外な感じがして、それが何だったのかうまく説明できない感覚があった。


翌週、FISHBOYさんがご自身のラジオ番組で、「Show-heyさんが(FISHBOYさんが専門の)POP(ダンス)をやりたいといって、難関だったと思うけどがんばったと思う。でも、そのあとのソロで持ってってましたね(ご自身の専門ジャンルのダンスをして、その場の空気の流れを変えた、さすがShow-heyさん、というニュアンス)」というお話をされていて、しっくりきた。


その説明を聞いてしっくりきたのと、最初、このイベントでお二人がコラボすると知ったときに、お二人はダンスジャンルの違いを、どうパフォーマンスするのかと、ステージが想像しにくかったことを思い出した。Show-heyさんがまさかPOPをすると思っていなかったので、それが意外でもあり、でもそこが新鮮にも映った。


ダンスを見た瞬間にジャンルがわかるほどに詳しくはないが、こうやって、FISHBOYさんが後日説明してくれたことで、楽しみ方が一つわかった気がする。


コラボダンスは、お二人の元の振り付けが同じでも、味付けの微妙な違い、個性の出し方の違いが面白いと思った。


比較するのは違うのだが、お二人が登場するまで、アマチュアのかたのダンスを13組ほど見ていた後だっただけに、「チームとしてのダンス」「ソロとしてのダンス」という見方を意識させられることが多かった。でも本当にお二人は、いいバランス感覚で、コラボとソロを踊られているのがわかった。「RADIOFISH」というくくりで見ていなくても、それは伝わる人には伝わるものだと思った。


お互いの気配を感じながらコラボを踊り、ソロでは自分の世界観を全力で出し切っているのが見ていてよくわかった。


この日お二人が身に着けていたものでお揃いなのは、黒(紺?)に白の柄が入ったスカーフだけだった。それを、きゅっと首元に同じ形で結び(小さめのスカーフを、たぶんバイアス折りをして結んだシンプルな形。お二人とも、子犬感が出ていた)、トップスは白、ボトムスは黒と色合いはそろえていたが衣装は別々だった。


それ以前のチームのかたたちが、ほぼお揃い衣装でありながら、流れている空気が違う感じがしていたが、お二人を見ながら、息を合わせるってこういうことかと納得させられる一体感があった。同じようなテンションになるように、踊りながらお互いの気配を無意識にくみ取って、バランスを調整しているようにも見えた。


その日、講評でも話題になったが、コンテスト中はいつもより歓声が少なかったらしい。それほど場が温まりきっていないなか、お二人が登場したとき、文字通りオーラが違いすぎて本当にびっくりした。照明がスペシャルになったわけではないが、光を全身まとっているかのように二人は登場した。


ステップを踏みながら、ステージ中央にくるわずかな時間でも、ステージに立てるこの瞬間が嬉しくてたまらないという雰囲気を出しながら登場してきて、見ている側も、これから楽しい時間が始まるんだとワクワクした。


何よりもいいと思ったのは、FISHBOYさんもShow-heyさんも、全身から踊るのが楽しいという熱を放ち、幸せそうに踊っているということが、ひしひしと伝わってきたことだ。


なんというのか、全力で踊りつつ、ステージに上がれているこの瞬間に感謝しているような、喜びがあふれるような踊り方なのだ。お二人のダンスは種類が違うが、この、踊る魂のような、陽炎のように全身から漂う幸福感の波長が、この日とても近いような気がした。


ダンスをしながら視線を合わせたり、お互いがお互いのソロを見ていたりする場面でも、それぞれがいちダンサーとしてリスペクトしあっている関係性が伝わってきて、本当にいい時間が流れていると思った。幸せそうに踊るお二人を見て、ずっとこの姿を見ていたいと思うほどに、今まで見たどの瞬間よりも輝いていると思ったのだ。


5.Show-heyさんは、心の内面を描き出す

Show-heyさんのダンスを見ていると、心のなかに注意深くしまいこんでいた、せつなさとか哀しみに寄り添ってもらっているような気持ちになる。


心の奥底に眠る、開けずにいた引き出しの中身が思い出されて、確かにずっとその感情はあったんだよ、そうだよ、それだよというものを、ダンスを見ている瞬間に、そっと開けられてしまったような感じにさせられた。でも、えぐられるというではなく、Show-heyさんのダンスに心が動くと、知らずに自分の心のドアをノックしていて、内面にある何かにそっと向き合わせてもらったような感覚になった。


それはきっと、Show-heyさんが内面をさらけ出しながら踊る姿を見て、そのポージングや指先一本一本に込められた思いを感じ取り、自分の何かが刺激されたのだと思う。


特に、体勢をかがめたり、全身のシルエットを小さくする細かい動きが、心の内面を描き出していた。そして、そのあとの身体や腕を開くような振りや、指先一本の動きが本当に効果的に映えて、そのダンスが表現している感情に、こんな感覚が以前もあったような既視感を覚えた。


といっても湿度が高いせつなさではなく、どこまでもクールで、軽やかさもある。せつなさをここまでクールにダンスで表現する踊り手に、Show-heyさん以上の人はいないのではないかとすら思う(比較する人を持っていないので、誇張しすぎと思われるかもしれないが、それほど表現力に圧倒されてしまった)。


Show-heyさんのダンスは、新体操のリボンのように、絶えず曲線を描き続ける。角というものをまるで感じさせず、くるくるとずっと曲線を描き、残り香が漂うな雰囲気や、軌道の残像すら感じる。


音のカウントのとりかたも、表裏といわれるワン、エン、ツー、エンというのではなく、カウントという概念すらないのではないかというくらい、カウントをいったい何分割しているのかと思うほど、絶え間なく細かい振りが入っているように見える。


この日、間近でShow-heyさんのダンスを見ながら、Show-heyさんの踊る周辺だけ、空気が甘く、軽く、柔らかくなっているような錯覚がした。


それまで私は動画でダンス見ていて、クラブイベントのダンスを見に行く敷居が高いと思ったポイントの一つに、「ダンスミュージック」の世界観が、歌詞が聴き取れる邦楽ほどに理解できないのではという懸念があった。ダンスが曲にフィットしているのかどうか、そもそも曲が何かわからないと楽しめないのではないかと思っていたのだ。


でも、Show-heyさんのダンスを見て、曲調とダンスの世界観にそのまま身を任せているだけで、十分に見ごたえがあると知り、そこに引き込ませてくれるShow-heyさんってすごいなぁと体の芯からわかった気がした。こうやって楽しもうという事前準備などはいらず、流れる時間に身を委ねるだけで、自然と夢中にさせてもらえて、これぞプロダンサーのなせる業なんだなと思った。心地良い時間が、そこには流れていた。

6.FISHBOYさんは、魔法をかけるように弾く

FISHBOYさんのダンスは、何年も前のものから大量に動画で見てきたつもりでいたが、もうその動画で見てきたものが一掃されるくらい、この日、至近距離で見たダンスが一番凄いと思った。


そう思った一番の理由は、FISHBOYさんの空間と時間の概念を変えてしまうダンスにある。動画を見ているときもそれを感じていたが、目の前で実際に見ると、いい意味で空間と時間に歪みが生まれるのだ。


どこが違うんだろうと思ったら、映像で見るものは、四角い画角のなかにダンスが埋め込まれている感じで、平面的に視聴しているからなんだと気づいた。そして、FISHBOYさんのダンスはその画角を飛び越えて、時間を止めたり進めたりして、空間として、頭や視覚が認識している幅や奥行きや高さを、ぐわんと、ぶるんと変えたりする。


うわ、時間とか空間って、日頃認識しているこのサイズではなくても、もっと世界って広いんだ、パーソナルスペース以上に動けるスペースってあるんだとびっくりした。閉塞したものを打破するかのように踊る姿を見ながら、もっと伸び伸びと酸素を吸って、羽を伸ばして生きられる領域ってあったんだと気づかされた。


日々同じような生活パターンで過ごしていると、たとえばビルの一階しか見ていなくて、あるときふと、視線を上に向けると、二階以上にこんな場所があったんだとはっとするようなことがある。また、いつも見慣れた光景で、ここでこんな夕焼けが見られるなんて知らなかったと気づく瞬間がある。FISHBOYさんのダンスは、そういう、「いつもの空間を非日常なものに変える」動きがある。


POPダンスというジャンルは筋肉を弾くことで表現するものと、FISHBOYさんの説明でだんだんわかってきた。でもずっと、ダンスを見るポイントは、筋肉を弾くダンサーさんの身体能力の凄さだけかと思っていたが、だんだん、弾かれた筋肉が表現する、空間と時間の歪みの面白さを楽しむものなのかと思えるようになってきた。


この日、FISHBOYさんがぽんっと手を開いたとき、本当にシンプルにただ、手をグーからパーにしただけなのだが、その瞬間、びくんとした。うわ、今、手から星が瞬いたと大真面目に思ったくらいだった。


それくらい、今までここになかったものが、この世界に登場したみたいな感じがしたのだ。角度を変えて指先を上に向けて弾いたときも、あ、なんか指から光が出てきたみたいだと思った。


そこにはもちろん、実際には何もない。でも、さっきまでなかったようなものが「ある」ように見える。弾くたびに、空気に魔法をかけるように、無形のものを視覚的に有形にして、質感のなかったものに重さを乗せる。命がない無機質なものに、命を吹き込み生き物のようにする。そうか、画角のなかでわからなかったのは、この生命力の宿る感じなんだと思った。


FISHBOYさんが踊る、勢いやなめらかな感じは画面でももちろん伝わってきていたが、目の前で実際に、空間の質感が生まれたり、時間が今止まったという驚きを感じると、1グラムって、1秒って目に見えるものだったんだろうかとすら思えたのだ。


FISHBOYさんはステージの使い方も伸びやかで、どこまでも広がりを感じるように踊ると思った。空間が広いほど、全部を使い切って全力で踊るんだろうなと思った。


空間を制覇するというよりは、空間の広さを楽しんで、空間と会話しながら遊んでいるかのように本当に楽しそうに伸び伸びとターンをしたり、歩幅を広げたりしているように見えた。事前に振り付けで想定した規模感やサイズで踊るのではなく、空間があればあるほど燃えるという感じもした。


直前に、アマチュアのかたが最大8名くらいのチームで同じステージで踊っていたが、失礼ながら、ステージが広く感じるほど空間を持て余しているようにも見えていた。そのかたたちがステージを使い切れていなかったんだなと後から気づくほどに、FISHBOYさんがソロで踊っているときの、空間のフルサイズでの活用は圧巻だった。


即興で踊って来た場数の多さを感じるような、臨機応変な感性から来た空間のとらえかただった(もちろんeggmanという場所は何度も踊っているでしょうが、慣れた場という感じより、踊りながら空間とのつきあい方をアレンジしているように見えた)。


FISHBOYさんとは、6回ほどお会いしてお話をさせていただいているが、その都度に毎回不思議な気持ちになるのだが、画角のなかでイメージするFISHBOYさんの体格より、ご本人がずっとスレンダーなのだ。


ヒットする瞬間の肩とか、ローリングや体重移動する際の腰回りを映像で見ていると、とても力強くインパクトがあり、映像では「体の厚みや、見えている面の幅」を感じるのだが、実際はとても細くてびっくりする。


お二人を比較するということではないが、Show-heyさんと同じ振り付けを、並んで踊っているからこそわかったことがある。Show-heyさんは立ち姿一つとっても、線を中心に集めるようにより細いスタイル、極端な言いかたをすれば、モデル立ちのようなラインを細くしなやかにするようなイメージがある(実際にはそうではなくても、繊細なラインを維持している)。


対してFISHBOYさんは、バトル形式で対戦型のダンスをしてきたためか、相手をしっかり見据える姿勢で踊るんだなと気づいた。この日のほかのダンサーさんたちを見て気づいたが、ダンス中正面を見続けるかたって少ないんだということだ。足元や立ち位置の確認、振り付け上の演出からか、意外とずっと顔を上げて踊るダンサーさんって少ないのだと思った。


でも、FISHBOYさんはとても姿勢がよく、首が座っていて(赤ちゃんにしか使わない表現かと思うが、この言いかたが一番しっくりくる)基本的に顔をしっかり上げて、中心軸がぶれず、肩の位置が常に正面にあるような印象なのだ。だから踊っている表情の目まぐるしい変化に目が行き、表情の豊かさがとても印象に残る。


この立ち姿もまた、空間の奥行きや幅を変えて、視覚のトリックにはまるかのような、FISHBOYさんがかける魔法なのかもしれない。その魔法を目の前でかけてもらったようで、なんだかとても幸せな気分になるような時間だった。常に目をそらさず挑むような立ち姿でありつつ、ぽんっと、空間に魔法をかけるような姿は、自分のなかにある何かも瞬時に弾いてもらえるようで本当に楽しい。

7.クラブイベントに行こうか迷っているかたに

FISHBOYさんとShow-heyさんのダンスイベントに行って、自分があまりにも感動したので、行こうかどうか迷っているかたに、ちょっとしたクラブ体験記のようなことを書いておきたい。


この日のイベント内容での、eggmanに限定した感想で、クラブイベント全般の応用性がどれくらいあるかはわからない。


でも、何も情報がないよりはいいかと思って書いておく。些細なことで行くのをためらって、現地で得られる感動を取りこぼすのは、本当に惜しいと思っているので、気になっているかたはぜひ足を運んでみてほしい。


何よりも、行きたいと思うなら、行ったほうがいいと思う。もう、これに尽きる。
理由はいくつでもあるが、何より、今この時しか見られない最高のダンスを、至近距離で見られる時間の尊さを感じられることが、一番大きい。当日、受け取ったものの大きさを考えたら、何を迷っていて今まで行かなかったのだろうかという、そっちの後悔のほうが大きかった。


私も先に書いた通り、迷いながらも、FISHBOYさんとShow-heyさんのダンスを一人でも見に行きたいと思って行って、クラブを人生で初体験した。そして、RADIOFISHのライブとはまるで違う、ご本人たちの専門ジャンルのダンスパフォーマンスを見られて大満足だった。


行ったことのあるかたに事前にお話を聞いたりもして、それなら一人でも大丈夫かもと思えたのもあるし、行けば見知った顔に誰か会えるだろうと思って出向き、実際に現地でほかのかたたちとお会いできた。


しばらく一人で見ていた時間も、ダンス自体を楽しんでいたので、全く退屈しなかった。DJタイムや、年齢層が違うかた若いかたたちがいてもまるで疎外感もなく、フロアで踊っているかたたちも少しいたが、大半はなんとなく時間を過ごしているかたが多く、慣れてないかたって意外と多いのかもと思った。


誰かの邪魔をしない限り、誰も自分に白い目を向けたりはせず(誰も自分を特に注目などしない)、観客としてそこにいても別に誰にも迷惑をかけないし、自分さえ楽しもうと思えば、いくらでも楽しめる。


私はフロアの中央くらいにいたが、お二人の、目の前で歓声を聴き取ったとはっきりわかるような耳の動きや、目の輝きや表情の変化、舌をぺろっとするところ(お二人とも)や汗を至近距離で見て、命がけで踊っているんだという息遣いをダイレクトに感じて、本当にびっくりした。ステージとフロアの床の段差は50センチほどで、一番前列はステージのヘリギリギリに座ることができて、まさに触れられそうな距離感で見られる近さだと思った。


何より発見だったのは、ダンサーさんにとって踊るエネルギー源って、観客の歓声なんだなとつくづくわかったことだった。私は以前から動画を見ていて、イエーイとかヒューとかやばーい、と声を出すタイミングのセオリーがあるのだろうか、へんなところで声を出したら恥ずかしいのではと思っていた。


でも結論から言えば、どこで声を出してもいいというのがわかった。なぜなら、歓声が上がれば上がるほど、どのタイミングでもダンサーさんのボルテージが上がるのが伝わってきたからだ。この歓声一つで、きっとまた、次もステージに上がろうとか、もっとがんばれると思えるんだなと思うほどに、歓声ごとに表情が変わるのがわかった。


なかでも、FISHBOYさんはRADIOFISHの楽曲の世界観では、自分は笑って踊らないとも発言されているが、そんなFISHBOYさんが歓声のたびに、嬉しさがこぼれんばかりに、キラッキラに目を見開いて笑うのは見れたのは、こちらも本当に嬉しくなるような姿だった。この一瞬の歓声が聞きたくて、だから踊っているのかもしれないと思うほどで、ああ、この場所がホームで大好きなんだなとつくづく思わされた。


今日は話題に触れないが、ダンス直後にYASさんのご配慮で、今話題のRADIOFISHということでMCタイムがあり(予定外のように見えた)、おもにFISHBOYさんがお話しをした。


その際、5分ほどのダンスでこんなに息が切れるんだというほどの、呼吸の荒さにも驚いたが、何よりも、これまでに見たことがないほどテンションが高いFISHBOYさんがいて、物凄くびっくりした。踊った直後には、全身からアドレナリンが出て、興奮冷めやらぬ状態が来るんだなあと、いかにその5分が濃いものだったのかと、全力のパフォーマンスに頭が下がる思いがした。


服装やフロア環境
それから、現地に何を着ていくかという悩みは誰もが持つと思うが、クラブは暗いので、そもそも人をそんなに認識できないのと、主役は自分ではないと考えれば、特別な服装でなくてもいいと思う。露出度の高まる夏はどうかわからないが、冬場は誰もがそれなりにモコモコしているので、周囲を見渡しても服装が印象に残った人はいなかった。


ただ、300名くらい入るフロアの大半は、床に体育座りが基本の観覧スタイルのため、防寒対策はしたほうがいいだろう。eggmanは、空調が少し寒い感じがした。


フロアの後方に、仕切りなしの喫煙用カウンターテーブルが数席あるため、空気清浄機か何かの影響か、フロアの熱気を想定して室温が高くないせいもあるかもしれないが、いずれにしても人の出入りが多いため、ドアがひんぱんに開閉するので、足元が冷えないようにしたほうが良さそうだ。


持ち物や荷物
持ち物で言えば、入口前で顔写真付き身分証明書の確認をしているので、それは忘れずに。また、入口の手前に靴箱サイズのロッカーがあって荷物を入れられるが、個数が限られている。


ロッカーは外にあるため、一度荷物を入れると再入場ができないこともあり、私は上着もカバンもそのまま持って入ったが、上着はひざかけにちょうどよく、かばんはお尻が痛いときに寄り掛かれたりして、それほど邪魔にはならなかった。DJタイムで踊りたいかたは身軽なほうがいいと思うが、大荷物でなければ持ち込んでも問題ないと思う。


荷物以上に邪魔になったのが、実はドリンクのプラカップだった。会場は時間が深まるとともに人が増えていくため、どんどん前に詰めるように言われて、何度も体育座りのまま移動をして、その都度、飲みかけのカップが邪魔になった。


一度座るとお手洗いに立つこともできないほどの密着度になるため(トイレに行こうと立ち上がりかけて、身動きが取れずあきらめている人を何人も見た)、次に行くときはDJタイムで全員が立ち上がるまで、ドリンクは飲まないほうがいいと学んだ。


撮影可否
あと、撮影に関しては、私が行った日のイベントはアマチュアのかたが多かったせいか、クラブイベント動画でよく見かけるような、スマホでの撮影者は皆無だった(少なくとも私のいた場所から撮影している人はいなかった)。結局、パフォーマンス中の撮影可否に関してはわからずじまいだった。撮影したいかたは、関係しそうなかた(ダンサーさんとか)に聞いてみるほうがいいかもしれない。


チケット手配と料金の仕組み
それから、チケットの手配はそのイベントごとに異なるだろうが、クラブならではのわかりにくいところを補足すると、料金の見方は、「adv 2500円/1D」とあるものは、前売り1ドリンク付き、「door 3000円/1D」は当日券1ドリンク付きということだ。


よくSHiNさんがTwitterで質問に返信しているように、「何とかというチームのゲストです」というと、前売り価格で入れることもあるようだ。ご本人に事前に許可がなくても入場できた、という話も聞いたことがある。


また、前売りを買っても座席指定でないことも多いようなので、当日思い立っていくことも全然可能だと思う。席という概念はなく、基本は自由な場所に座る感じだが、先に入った人から前に詰めるのがマナーなようだ。


私は、前売りで申し込まないと当日ひるんで行かないかもと思ったので、GKKJの問い合わせフォームからチケットの取り置きを依頼して、後日、取り置き済みの返信メールをもらって当日受付で名乗った。


時間
イベント時間はそれぞれ異なるが、DJタイムがスタートの場合はよほど音楽やダンス好きでない限り、スタート時間から行かずに、ダンスパフォーマンスの時間の少し前から行ってもいいだろう。またお目当てのダンスを見た後も、好きな時間に帰って差し支えないと思う。ただ、時間帯が深夜なので、電車のかたはどこかで時間をつぶしたり、遠方のかたは宿泊先の確保は必要だと思う。


こうやってつらつらと、文字にしてしまえばなんてことのないことばかりだ。たったこれだけのことだが、クラブイベントの申込みの方法がわからない、行ったことがある人が身近にいないというだけで、敷居を勝手に高く感じてしまい、行きにくいと言うこともあるのを払しょくしたく、念のために書いておいた。繰り返すが、あくまでこの日のイベント形式ではこうだった、という程度で読んでいただきたい。


かなり長文になったが、書くのを迷っていたのをやっと放出できて、良かったと思っている。


果たしてこれが誰かの役に立つのかはわからないが、情報がないより、RADIOFISHを応援したい思う、誰かの行動の後押しになれば嬉しい。


以前、リリイベの楽しみ方という記事を書いたところ、私の記事を常滑のリリイベに当日の朝読んで、どうしてもリリイベに行きたくなり、関東から気づいたら新幹線に乗っていたというかたの武勇伝を後日知り(そのときは交流がなかったかた)、記事が後押しとなって楽しい思いができたとお礼をしていただいたことがあった。


記事一つ、不安要素をかき消すきっかけ一つで、人は未体験ゾーンに行ける。


私にとって、今回イベントに行こうと思ったきっかけは、FISHBOYさんの「RADIOFISHとソロのダンスの表現方法の違い」の話からソロダンスへの興味が膨らんだ話だったり、ラジオ観覧の場に告知に訪れたShow-heyさんの姿だった。


いつか機会があったら見たいという気持ちでいると、永遠にクラブに足を運ばないような気がして、だから今、この瞬間のダンスを受け取ろうと熱烈に思ったのだ。

8.FISHBOYさん、Show-heyさんに

お二人のダンスの素晴らしさを堪能できる場に行けて、楽しかったです。本当にありがとうございました。


見せていただいたものがあまりに素晴らしく、文字化はナンセンスかもと思いましたが、二週間以上経ち、やっとあの日の高揚感を言葉にしてみました。


まだまだ書く力は足りませんが、ダンスの感動を微力でも表現していき、一般のかたに、ほんの少しでも伝えていける一人でありたいと思って書きました。


手探りで書いているため、ダンスの解釈の違いなどがあれば、どうぞ、ご指摘ください。


長文をお読みいただき、ありがとうございました。


では、また。

          • 追記-----

この記事を書いた時点では、公式動画は公開されていなかったが、後日、主催者のGKKJさんから公式動画が公開されたため、以下にリンクを貼っておきます。


2017.1.14 GKKJ PRESENTS 「EXPRESS vol.8 」- show-hey&FISHBOY
https://youtu.be/O_EhO-QwhKM


(51)輝き続ける、SMAPという6つの星屑

こんにちは、検索迷子です。


早いもので今日はもう、12月30日。
12月26日のスマスマの放送や、そのほかのSMAPの話題で、いろいろ思うことはあるが、何も消化しきれていない。だからその話題は、いつか書ける日を待とうと思う。


そんななか、今朝の朝日新聞朝刊広告を見た。
SMAPファンのかたを中心に、クラウドファンディングで資金調達をして実現したこの広告、参画された1万3000人と、参画はできなかったけれどもSMAPを応援したいというかたたちの熱意を強く感じ、朝からずっと心を揺さぶられた。


なかでも、6つの星に込められた「6人でSMAP」の思いにはっとして、それで今日は、このブログで初めて、森さんの話題にも少し触れたいと思って書き始める。

無言を貫く覚悟

年初の報道以降、ほぼ無言を貫くSMAPを観ながらずっと、自分の書くテーマを探ってきた。


無言を貫く覚悟を決めたかのような彼らの姿を見て、芸能界を知る立場ではない自分が、真偽の定かではない間接的な情報を集めて書けることはないと思ってきた。真実にリーチしたい気持ちを自制するように、心を鬼にして記事を書かずにきた。


私は人が持つ美しさを、より美しく、広く紹介するためにブログを書きたいと思っている。だからといって、批判や負の感情、猜疑心、罵詈雑言の視点を持ち合わせていないかというと、そうではない。むしろ、美しさを見つめる同じ深さで、闇の部分を考える続けることもある。


たとえ個人のブログであろうと、ほぼ、全方位でガラス張りのネット上では、文字を書き残す責任がある。陰でこっそりと書ける場のようでいて、それは必ず誰かが見ている。実際に私も過去、ネット上のいさかいや誹謗中傷などの闇の部分を監視し、追跡して書き手を特定し、警告を出すという仕事もしていたことがある。


負になだれこむ言葉のストッパーは、一度外すと制御がきかない。だからこそ、言葉を暴力的には使わない強い気持ちが必要だと思っている。昔、その当時の国内最大級規模のネットサービスに携わり、言葉の暴力性にダイレクトに触れてきたからこそ、この怒涛の一年の出来事に、中途半端な言葉で加担することはできなかった。


思いを、何でも言葉にしていいわけではない。それは今年、何度も自分に言い聞かせたことだった。

目の前のことに集中し続ける、SMAPの姿勢

彼らの無言を貫く覚悟を見つめながら、考えさせられることは多かった。


SMAPがこの一年貫き通した、言葉なき心の言葉たちを、私は憶測で書くことはできない。自分個人として、そのときどきのテレビやラジオで受け止めたものはあるが、それは答え合わせができない自分だけの感想で、文字にはしないと心に留めてきた。


事実としてわかったのは、語らない、ということだけだ。語れない、と書きたいところだが、それすら推測でしかない。だから、語らないという事実だけが、今、目の前でわかることだった。


そして、この一年、彼らは本当にプロ精神を持ち続けているかたたちだと、あらためて思うことが多かった。


心の中に複雑に絡まっているだろう感情、外野のノイズ、行動範囲の規制など、彼らを精神的にも外的にも蝕む要素は、いくらでもあっただろう。


でも、彼らは見かけ上は淡々と、目の前の仕事に取り組み続けた。メディアに出続け、その現場ごとで求められる役割に成果を出し続けた。


何よりも凄いのは、5人が5人とも同じように、仕事の評価を一ミリも下げることなく仕事を全うしていたことだ。職業人としては当然かもしれないが、当然なことがまかり通らない不条理さのなか、平常心を保つことはどれほど大変だっただろう。


心情がどうであろうと、それまで積み上げてきたものを破たんさせることもなく、むしろこれまで通り、仕事ごとに新たな側面を見せてくれたり、仕事を楽しんでいたりして、こなした仕事の数だけ評価を高めていった。


この、目の前の仕事に常に真剣に向き合う姿勢こそ、SMAPSMAPたるゆえんなんだと、今年の一年であらためて彼らの底力を見せてもらった気がする。

森さんも現場の第一線で、今日も戦い続ける

最近、仕事でオートレースの記事をチェックすることがあり、ほんの少しではあるが、森且行さんがSMAPを脱退した後、活躍しているオートレース業界というものがわかってきた。


詳細に書くほどの知識はないが、1つだけはっきりとわかったことがある。


それは、オートレース業界において森さんは、すでに大御所の位置にいる、ということだ。知っているかたからすれば20年近くいる業界だから、当然のことかもしれない。でも、20年現役で活躍しているということが、どれほど凄いのかまざまざとわかってきた。


オートレース界では、20代の選手も多く活躍されている事実を知ったとき、40代の森さんがどれだけの努力を重ねて、一戦一戦のレースを積み重ねてきたのか、その重みがずしんときたのだ。


職業としてのアスリートは、選手寿命が決して長くはない競技が多い。サッカーなら三浦知良さんとか、野球なら誰々さんとか、40代の現役選手は現役続行をしているという意味での注目もされる。


オートレース業界に、そうした、最適年齢ゾーン的な見方があるのかは定かではないが、レースごとに勝敗が一目瞭然となる世界にいて、どれほど注意深く体のメンテナンスをし、強い精神力を保ち続けているのかと思うと、森さんが本気でオートレース業界に飛び込んだ覚悟や取り組みが伝わり、いまさらながらその凄みがわかってきた。


と、森さんのオートレース業界の活躍を知るたびに、SMAPもまた、40代になってもアイドルという前人未到の領域に入り、かつずっと第一線で活躍してきているという共通点に気がついた。


森さんもSMAPも、彼らが第一線であることは当然とずっと見てきたが、これは並大抵のことではなかったんだと驚かされる。


冷静に考えると、現場の第一線から降りないどころか、もっと高みを見ていこうとする姿勢も共通しているし、業界の流れを変える先駆者的な役割を担ってきたという点も同じだ。


オートレース業界の記事を読むと、森さんは広告塔的な役割を担ったり、スマートな身だしなみやふるまいに配慮したりして、後輩に影響を与えているようだ。また、女性ファンの増加に貢献し、オートレース場の環境改善も進み、業界で戦績だけでなく、多大な功績を残しているのだ。


SMAPという名前を語っていい、この世の中のたった6人が、6様にこれほど活躍し続けている、その事実がどれほど偉大なことなのか、いまさらながら振り返って驚かされている。

今年最後の決戦の日

12月31日大晦日
森さんは、川口オートレース場で行われる、スーパースターシリーズ決定戦の最終日の優勝決定戦に出場する。


優勝決定戦は、複数日に渡るレースで勝ち上がらないと出場できない仕組みで、森さんは今年、優勝決定戦に出られないレースがいくつもあった。きっと悔しい思いをたくさんし、マシンも身体のメンテナンスも十分に見直して来たことだろう。


そんななか、このSMAPSMAPでいられるかもしれない最後の日に、森さんは森さんの世界で戦いに挑む。


SMAP5人と、森さんにこの日、物理的な接点はたぶんないだろう。
それぞれがそれぞれの場所で、その日に自分が果たすべき役割に全力で集中するのだろう。


でも、6つの星屑たちはきっと、魂でつながって、心でエールを送りあっているのだと思う。


そこに過剰な言葉はいらない。
ただ、ただ、お互いを思い合う気持ちだけがあれば、それで伝わりあえる存在同士なのだと思う。



2016年が、終わる。


これほど、年末の最後の一日に、特別な意味が乗った年はなかった。


丁寧に目の前のことに集中しながら、第一線で輝き続け、決して第一線から逃げない6人のSMAP


彼らに敬意を表し、これからも、心から応援したいと思う。


神様、どうか彼らがずっと輝き続けていられるよう、見守っていてください。


では、また。



今日、初めて森さんの話題を書きましたが、ざっと調べて書いたため、事実に間違いがあればご指摘いただければと思います。


追記:
記事アップ後、オートレースにお詳しいから教えていただきましたが、森さんの明日のレースは、SMAPと約束をした「SG優勝」という、「SG」グレードのレースではなく、その下にあたるグレードとのことです。森さんは今年、「SG」参加資格となる年間ポイントが不足し、このグレートの出場にはいたらなかったそうです。


あらためて、森さんがどれほどの情熱で「SGでの優勝」を目標に戦っているのか、その厳しい世界が、少し理解できたような気がします。


読んでくださった、森さんのレースを見守り続けているかたに、心からお礼申し上げます。


コラボブログについて

今日は、「剛 しっかりしなさい!」のブログ運営者である、凪(なぎ)さんの【SMAPとココカラ】 (48)Harlm River Drive “SMAPの前にはいつも 一番高いハードルが置かれている。”(49)This is Love(50)愛の灯〜君とメリークリスマス 事実と真実 を受けて、コラボブログ第51回として書いた。


主旨について
ブログ主旨については、下記にリンク先を掲載している。
【コラボブログ:SMAPとココカラ】(2)SMAPとファンは、もはや一つの組織の最下段、【コラボブログ:SMAPとココカラ】(4)木村拓哉さんの自己犠牲の精神の序盤で紹介している。

RADIOFISHの限界を超える挑戦

こんにちは、検索迷子です。


しばらく間があいたが、今日は前回のパラフェス記事のお礼に続けて、RADIOFISHの話題に触れたい。


SMAPファンかたに多く閲覧された記事のお礼と、RADIOFISHのことは分けて書いたほうがいいのかもしれない。でも、私のなかでこの2つの出来事は、時系列的につながっていて、それでブログを書こうという気持ちになったため、あえて分けないことにする。

パラフェス記事閲覧のお礼

前回、(47)パラフェス2016は、香取慎吾さんの壁画が放つ愛に包まれていた、という記事を書いたところ、主催者であるパラフェスのディレクターさんからも温かいコメント付きでリツイートしていただいたこともあり、ざっと確認するだけでも1000リツイート以上の拡散がされ、本当にたくさんのかたに読んでいただいた。


この記事の反響で、自分が書くべきものが何かを再確認させられた気がする。それは、自分の言葉で書き続けることの意味だ。


現場に行って肌で感じたものを、自分の言葉で楽しみながら書き、結果、それが誰かの心に届くのが、一番書き手としては嬉しいという、ごく当たり前のこと。


発注記事のように納期やテーマに制約がないことから、書きたい自発性だけが書き続ける原動力となっているため量産はできず、書きたいことをメモしたノートの落書きばかりが溜まるのが、いっとき心苦しかった。


備忘録がわりにTwitterで少しつぶやいてみても、それはかえって、すきっ腹に書きたい気持ちが充満するようなり、かえってしっかり書きたい気持ちがあおられた。


敬遠されがちな長文も、魂を込めて書けば、届く人には届くということも、今回とてもよくわかった。


長文で、個人ブログで、というだけで読むのを敬遠するかたはいると思うが、1テーマ1話読み切りで書くと、ネットのキーワード検索に強く、Twitterをしていないかたにも、時期が経過したタイミングにその話題に興味を持ったかたにも広く読んでいただける。リアルタイムよりも、がぜんロングテールに威力を発揮する。


今回書いたパラフェスの壁画記事は、書いて3週間経過した今日も読まれ、1年前の壁画記事もいまだに読まれ、ありがたいことに香取さんの壁画の記事を探すかたは、私の記事まですぐにたどり着いてくださる。


読み継がれる記事を目指したいという気持ちが、こうして結果となると、目先の閲覧数だけを指標とせず、続けてきてよかったと思う。


あらためて、読んでくださったかたに感謝したい。

オリラジのお二人を考え続けた時間

RADIOFISHの記事を、一か月半くらい書かずにいた。書くことがなかったかと言えばその逆で、躍進し続けるRADIOFISHの話題は日々投下され続け、書けることは山ほどあった。


私もイベントに行ったり、メンバーのテレビやラジオを視聴したり、ご本人たちのTwitterやインスタグラムを見たりしていた。ファンのかたとも、イベント会場で会ったり観覧に一緒に行ったり、紅白出場のお祝い会をしたりと、最近はほぼ毎週会っていたくらいだ。


でも、大量の情報をまえに、さて、何を深く書けばRADIOFISHの応援になるのだろうと思っているうちに、投下される最新情報に、どんどん書こうとする話題が古くなっていく、という、視聴者としては楽しいが、書き手としては悩ましいというのを繰り返していた。


そんななか、ある機会があって二週間くらい、時間があればずっと、オリラジのお二人のことばかりを考えていた。


中田さんのことを考えては、藤森さんのことを考えてというのを延々と繰り返し、書いては全削除して一からやり直す、みたいな時間を過ごしつつ文章を書いていた。


オリラジのことを考えた時間の理由は、いまは書けないので、後日触れるかもしれないが、この二週間で、書くことに対する意識が変わったかもしれないほどの貴重な時間だった。


幼少期から作文が好きで、文章への苦手意識がゼロで、人に文章を読まれるのがまったく苦にならない自分が、私って文章がヘタだ、これは誰にも読ませたくないと本気で打ちのめされた。


それでわかったことがある。


自分がこれまでできると思ってたことを、できる規模やサイズでしかやってきていなかったんだなと。天井を自分で決めてしまっていて、そこを越えようと思ってこなかったんだなということを。


日々、何らかの形で文章を書き続けることが当たり前だったため、いつのまにか、だいたいこれくらいでという自分のレベルになじんでしまい、いつしか、ここが能力の限界と決めていたところがあったんだなと気づかされたのだ。

限界点を超えて、挑戦し続けるRADIOFISH

という私の話は、読んでくださっているかたには興味はないと思うので、RADIOFISHの話題にやっと戻すが、私がこの一年、RADIOFISHの活動を注目し続けた理由は、まさにこの、「限界を超えようとする意欲の高さ」だったのだと思う。


それをあらためて実感したのが、11月26日に韓国で開催された、「WebTV Asia Awards2016「Song of the year」」 で、RADIOFISHが「年間最優秀楽曲賞」を受賞した際の、FISHBOYさんの英語でのスピーチだった。


この動画はネット上にはあるが、今日はこの話題がメインではないので、かいつまんで内容だけ書くが、この受賞スピーチでFISHBOYさんは「活動を始めて1年間は何も起きなかった(ブレイクという意味合いで)。でも、挑戦に挑戦を重ね続けて、晴れて今日、この名誉ある賞をいただけた」といった内容を話していた(意訳)。


このスピーチ映像、何度も繰り返して見ていて、とても好きなのだが、その都度、FISHBOYさんが話す、「challenge,challenge,challenge」と繰り返すところで泣きそうになる。


スピーチは、本来は中田さんがするはずだった。でも登壇前の控室で、海外のダンサーさんたちと談笑するFISHBOYさんの、コミュニケーション能力を見た中田さんが、直前でスピーチを代わるように言ってきたと、FISHBOYさんは後日、ご自身のラジオ番組で語っている。


FISHBOYさんは、「兄貴がスピーチしたほうが映像が(メディアに)使われるから、そっちのほうがいいと思ったけど、自分が喋らせてもらった」とも話していた。


私はこのときのスピーチを、FISHBOYさんにした中田さんの決断も凄いと思っている。冷静に適材適所ができることもそうだし、FISHBOYさんにRADIOFISHを代表して、語ってもらっても大丈夫という信頼も感じた。兄弟だからではなく、メンバーとして共に闘ってきた仲間としての信頼が伝わってきた。


代わってもらった本当の理由はわからないが、海外メディアへの露出を考えると、中田さんがスピーチをしたほうが良かったとは思う。でも、中田さんがこれまでメディアで語ってきた挑戦の歴史とはまるで違う重みが、FISHBOYさんがこのときに話した「challenge」と言う言葉にはあった。


RADIOFISHのユニットをやりたいと言い出した中田さんと、中田さんを信じて活動してきたメンバー、なかでもスキルマスターと呼ばれるダンサーさんの言葉だからこそ、その言葉が胸にずしんと響いた。


この場所にたどりつくまで、RADIOFISHの6人はどれほどのものを乗り越えてきたんだろう。


中田さん、藤森さん、FISHBOYさん、Show-hey(ショーヘイ)さん、SHiN(シン)さん、RiH!TO(リヒト)さん(SMAPファンの読者のかたに補足:つい最近、「つとむさん」は、中田さんにより別名がつけられました)の思いは、どれほどのものだったのだろう。


「芸人が、ダンスと歌に本気で挑戦する」「ダンサーが、お笑いとしてのダンスに挑戦する」という、未知なるものへの挑戦を続けてきたこと、そして、この活動をより大きなものにできると信じ続けてきた時間が尊く思えてきて、スピーチ映像を見るたびにぐっときてしまう。


自分たちができることの限界を超えて、挑戦し続けてきたRADIOFISHの凄さが今年、しっかりと伝わり、評価がどんどん高まってきているのは本当に喜ばしい。

高度化するパフォーマンスと、さらなる高みへの願い

彼らのさらに凄いのは、安定を望まず、今もなお、パフォーマンスをより高度化させて、限界点を何度も塗り替えているところにある。自分たちのパフォーマンスで、どれだけ観客を笑わせられるのか貪欲に挑戦している姿に、笑いつつも、胸を打たれる。


特に、年末に入ってからのパフォーマンスは、これまでの集大成といわんばかりに、これでもかというほどに、惜しげもなく、これまで蓄積してきたものを放出し、さらにプラスアルファを乗せてきている。


おーい、どこまでやるんだー。という気持ちになるくらい笑わせてもらい、大笑いした後は、もっとやれー。もっといけー。とあおりたい気分になる。


RADIOFISHは、苦労してきた末に今がある、という話はもちろん知ってほしい部分ではあるが、それよりも、いつも笑わせてくれる人たちだよねという爽快感で終わるほうが、見方としては正しいんだろうなと思う。


だから、もっとやれー。と私は言い続けたいし、限界点を塗り替え続けていってほしいと思っている。


RADIOFISHのパフォーマンスは、笑いやかっこよさはもちろんだが、活動を通して、自分の内面にある何かをスパークさせてくれる。


このスパークさせられる感覚が面白く、その飛び散る何かが、いったいどこから来るのだろうと考え始めると、彼らを見続けることがたまらなく楽しく、興味が尽きない。


もっと違う切り口の話題も書こうと書き始めたが、限界点を塗り替える話題だけで十分な量になったので、また機会を変えて書こうと思う。


出演番組やイベントごとのパフォーマンス書くには、露出量にスピードが追い付かず、ずっとジレンマがあった。でも、進化し続けるRADIOFISHには、ピンポイントの感想を書いてもどんどん新しい情報が入り、一つの話題が数日の命だとやっとわかった。


だから、個別レビューはいまのところ割り切って、できるだけ長期的に読まれるものをと、今日は違う観点で書くことにした。


11月中旬から今日まで、書かなかったり、見られなかったパフォーマンスに対する取りこぼし感はとても大きい(実は全部見れてない。さっと思いつくのは、骸骨祭りとか)。


活躍するRADIOFISHの記録として、反芻される記事が残せなかったという、取り戻せない時間をものすごく感じて、いっとき喪失感すらあった。でも、情報ゼロより、できることを残せばいいと開き直ることにした。


これが、私がここ最近の「RADIOFISHが書きたいのに書けないジレンマ」の、限界点を一つ突破した点で、そして、今時点でできる最大限のことだ。


25日は、オリラジのトークライブに行く。
いまのところ、現地に行く予定はこれだけだが、さて、この先はどんな出来事が待っているのだろう。


最後に。
ふだん、季節感があることはあまり書かないのですが、


Merry Christmas!
May God bless you and your family on this special day.
(メリークリスマス!
特別な日に、あなたとあなたの家族に、神のご加護がありますように)


神は、RADIOFISHにとって、特別で、唯一の存在。

WORLD IS MINE(Type-B)

WORLD IS MINE(Type-B)


では、また。

(47)パラフェス2016は、香取慎吾さんの壁画が放つ愛に包まれていた

こんにちは、検索迷子です。


11月22日(火)、日本財団パラリンピックサポートセンター(略称:パラサポ)さんが開催された、パラスポーツ普及啓発のイベント「パラフェス2016〜UNLOCK YOURSELF〜」に参加するため、国立代々木第一体育館に行ってきた。


パラリンピックイベント関連の話題を書くのは、今日が4回目となる。
2016-11-10 (45)香取慎吾さんのパラサポ壁画は愛が描かれている
2015-11-30 SMAPさんのパラ駅伝の閉会式コメント
2015-11-11 SMAPさんとパラリンピックと壁画


イベント本題に入る前に、これに参加できたことや、記事を書こうと思った時間も含めて、私とSMAPファンのかたとのご縁なので、周辺の話も書いておきたい。


私のブログを読みなれているかたは、いつもの長文だと思っていただけるだろうが、イベント内容をすぐ知りたいかたは、見出しを参考にスクロールして、先のほうを読んでいただければと思う。

パラフェス参加までのいきさつ

前回、香取慎吾さんが2015年11月に日本財団ビルに描いた壁画に、再び光があたると知って、嬉しい気持ちで記事を書いた。できたら、実物大レプリカとメイキングムービーをこの目で見たいと思いつつも、5000名程度の枠だったため、参加の応募は、本当に現地に行きたいかたにと思って控えていた。


ところが、思わぬ幸運が舞い込んだ。
Twitterのフォロワーさんで、私がSMAPを書き始めた初期から見守ってくださっているかたが、同行者を探していた香取さんファンのかたに私を紹介してくださった。


そのかたはTwitterもブログもやっておらず、当ブログも知らなかったようだが、フォロワーさんがわざわざ記事を添付してまで、私との同行を勧めてくださった。


当初、Twitterのみの知人の仲介ということに難色を示されていたようだったようだが、私のブログを読んで、ここまで壁画に思いを寄せてくれている人なら、ぜひ一緒にと快諾してくださった。


そして当日、遠方から前泊して来られた、そのかたに同行させていただいた。そのうえ、ずっとネット上でお世話になってきたものの初対面だった、仲介者のフォロワーさんともご挨拶できるという素敵な時間を過ごせた。


と、周囲のかたのお力添えで現地に行って、楽しい時間を過ごしてから、一週間あまり。


実は参加が決まったときに、Twitterで香取さん壁画シリーズの次回を書くとつぶやいたものの、当日会場で受け取った思いがとてつもなく大きく、それをなかなか消化しきれなかった。


Twitterでたくさんの感想が流れ、ワイドショーでも取り上げられていることもあり、私が書かなくてももう十分だろうかと考えていた。


ところが、自分も自分なりに言葉にしなくてはと思う出来事があった。


11月28日(月)に、一年前のパラ駅伝に誘ってくださったかたと、同時期、私がTwitterのヘッダーに使っている、草なぎさんのドラマのロケ地である「一本桜」に案内してくださったかたと、偶然食事をする機会があった(この話はTwitterでもつぶやいているが、稲垣さんや草なぎさんゆかりのお店にも行ったので、機会があれば書こうと思う)。


お世話になったそのお二人とも、パラフェスには参加できず、当日はどうだったかと聞かれるままに感想を話した。すると、「他の人に聞いていた感想の10倍くらい情報量があって、状況が浮かんできてうれしい」と言っていただけた。


その一言に、はっとした。
長文でここに書き残すことで、私も誰かの役に立てるのかもしれないと。


観に行けなかった多くのかたのために、これは書き残そうと気持ちを固めた。自分がSMAPファンのかたに何重にも受けた好意を、きちんと文章にして返して行こうと思った。


今年に入って、SMAPやファンのかたのことを思い、ブログを書くのは、時に押し寄せる切なさや、やりきれなさとの葛藤で、ものすごくエネルギーを使い、書くこと自体が心苦しかった。


それでも、記録の意味も込めて、今回のパラフェスは残さなければならない大事なイベントだったと思う。これが私にできる、小さな小さなファンのかたへのギフトになれば嬉しい。


ということで、やっと本題にいきます。

パラフェス2016の、充実したイベント内容に夢中になる

本題と書いたものの、この記事を読んでくださっている大半のかたにとっての「本題」は、香取さんの壁画やメイキングムービーの感想かもしれない。


それをわかりつつ、やはり今回のお礼も込めて、本来の主役であるパラフェスのイベントの感想を先に書いておきたい。


イベントの詳細レポートは、日本財団さんの公式ブログ、日本財団ブログ ソーシャルイノベーション探訪ー「パラフェス2016 〜UNLOCK YOURSELF〜」に詳しいので、それをご参照いただきつつ私の感想をお読みいただければと思う。


19時から2時間半の予定が、22時15分終了となる長丁場のイベントではあったが、全体的に考え抜かれた、内容盛りだくさんの素晴らしいイベントだった。


まったく飽きることがなく、むしろ目の前で披露される出来事の一つひとつに夢中になった。


この日私は、会場の外のチケット引換所の列に、2時間近く前から同行させていただいたかたと並んでいたが、会場に訪れているかたの大半はSMAPファンであるという体感があった。


その大半がSMAPファンであろうかたたちが、同じく会場で繰り広げられるイベントを楽しんでいる様子がわかるくらい、イベントの雰囲気はとても良かったと思う。


車椅子バスケットボールの競技説明や、デモンストレーションのとき、昨年、SMAP5人が、駒沢オリンピック公園の総合運動場陸上競技場で、同じ競技に真剣に取り組んでいた姿を、一瞬、思い返さなかったと言えば嘘になる。


でも、昨年に馳せる思いよりも、今このとき目の前で真剣に競技をするアスリートに集中して見入ってしまうほどに、パラアスリートのかたたちは輝いていた。


開始から順を追うと、ダンサーさんによるパフォーマンス、開会式とスピーチ、パラリンピアンと芸人さんによるパラリンピックの競技紹介、コンサートという流れだった(香取さんの壁画のメイキングムービーについては後述するので、いったん順番からは外して説明させていただく)。


振り返ってみると、これだけ内容が充実して、多数のかたがセンターステージに登場して入れ替わっても、まるで無駄な時間がないと思うほどに、なめらかな進行で、興味がずっと持続するほど、会の運営が完璧だったと思う。


ちなみに会場は、正面に巨大スクリーンが1つあり、それを全員が正面から見える1、2階席に着席するスタイルだった。入場した際、3倍の人数は入場できたのではと思うほどに、会場の3分の2を占めるほどの暗闇の空席が目立った。


でも、結果的に、この入場規模が今回は妥当だったような気もしている。
その理由の一つは、プロジェクションマッピングの技術の利用によって、センターステージが多様な変化が効果的に働いたことがある。


少しわかりにくいかもしれないが、体育館の床自体に、そのときどきのイベント内容に合わせていた映像が投影されていたのだ。


映像が観やすい方向に全員が着席できて、イベントごとの映像技術を堪能できていたのだと思うと、全員の視線が同じ方向を向いていたのは、会場の一体感にもつながり良かったと思う。


床は、時にバスケットコート、時に陸上競技場のスタートライン、時にパフォーマンスを彩る立体的な映像と七変化し、後述するが、香取さんの壁画も全面に投影された。


また、ステージ左側にはセンターステージよりも少し小さめのサブスクリーンがあり、ステージ上でのやりとりが随時入力されて、表示されていた。


当初これは、ニコニコ動画のように会話をリアルタイム入力するものとして、登壇者も観客も、喋ったことが全部画面にでちゃうの? と笑いながら楽しんでいるところがあったが、冷静に考えるとこれは、聴覚障がい者が主に観るための、大事なスクリーンだったのだ。


それに気づいたとき、我ながら無知って怖いと思った。誰かにとって大事なコミュニケーションツールを、遊び的な冷やかし要素でとらえていたと思うと、くすくす笑っていたことが恥ずかしくなってしまった。


ステージ自体は全部が丸見えで、場面転換にスタッフが動く姿や、出演者の入退場の様子も見えたままだったのだが、本当に会全体がなめらかな進行だったと思う。


本当であれば、このイベントに出演されたかたお一人ごとのお名前もここに書いてコメントをしたく、関係者にもお礼を書きたいところだが、この場を最大限に楽しめたことに感謝したい、という一言に代えさせていただければと思う。


また、このイベントのディレクターさんがTwitterでつぶやかれていたが、このたった数時間のイベントの成功の陰には、一年前からの緻密な準備があったようだ。関わった多くのかたの思いを、この日、存分に受け止め、自分にできることを協力していこうという気持ちになった参加者は多いと思う。本当にいいイベントだったと心から思う。

香取さんの巨大壁画に心を奪われる

香取さんの壁画のレプリカは、入場してエントランスから体育館に向かう方向に、どーんと置かれていた。


あまりに唐突に目に飛び込んできたので、え、もう絵があるのとびっくりした。おかしなもので、絵を観たいと思ってやって来たのに、絵があまりにあっさりと目に入って驚いてしまった。


入場したかたたちの多くもSMAPファンで、やはり絵が目当てだったようで、絵の手前に大きく書かれていた「場内撮影禁止」の表示に気づかず、絵に吸い寄せられるようにカメラを構えかける人がたくさんいた。当然、周囲に静止され、あー、ダメなんだとがっかりした声を上げる人が多かった。


会場にいるとじわじわと、この絵がとうとう見られたんだと感慨深くなってきて、入場したときの体制のまま、正面からずっと観ていたいと思った。でも、あっという間に混雑してきて、絵の右横から歩いて観るために並ぶよう促されて、すでに行列は体育館半周分近くに伸びていた。真ん中で立ち止まって、全体像を見ることはほどんどできなかった。


それでも、列に並ぶ前になんとか、全体を俯瞰できる姿勢をとってみた。


なぜか最初に観たときに、淋しい感じがした。
絵が淋しいのとは違う。絵が飾られていた場所が淋しいと思ったのだ。なぜそう思ったかというと、理由は後からわかったのだが、場所が体育館で、絵の後方は体育館のがらんとした暗闇で、全体的に暗い感じがしたのだ。


美術館などとの展示とは違い、絵の周辺には数カ所のピンスポットがあるだけで、周辺が体育館の夜の照明レベル(夜に体育館に行ったかたことがあるかたには、わかる)だった。


その微妙な照明に照らされる絵を観ながら、よく考えてみたら、体育館にこれだけの絵を飾るって、かなりイレギュラーなことなのかもしれないと思った。普通なら体育館にあるのは、せいぜいアスリートのゆかりの道具だったりする程度で、絵画レベルの作品を展示してもらえたこと自体が凄いのだと思った。


日本財団さんのビルにある絵の実物は、縦2.6メートル、横6.1メートルで、天井が白、絵の左側の壁も白、床はグレーのじゅうたん(たぶん)の三方向がちょっとした囲いのようになっていて、絵の右側はオフィスフロアに吹き抜けになっている(写真で見る想像)。なんというか、壁という閉ざされた空間のなかでの、伸びやかさを表現した絵というイメージを持っていた。


それが、レプリカとなり四面がほぼフリーの状態になり、実物にある天井と壁の白のハイライト効果が、今回は、空間に四隅がない状態で絵がぽつんと放たれて、空中に浮きあがって置かれているような、不思議な感覚があった。


壁という縛りがない状態にふわりと存在する一枚の絵となって、絵の見え方が少し変化したような気がする。でも、それは悪い意味ではない。レプリカとなってまた新たな命が吹き込まれたような感じだった。


また、レプリカのためか(どういう技術で作成したかは不明)、メディアで観ていたときよりも、全体的に色彩が淡い印象があった。


たとえば、中心に大きく描かれている月の色合いは、紫紺かと思ったら、淡い紫のような色だった。「愛」の文字下にある青い円も、くっきり濃いスカイブルーかと思っていたら、淡い水色だった。


こうして最初に観たときは、自分がイメージしていた壁画像とのギャップを少しずつ埋める時間があったが、行列から出た後も、なんとなくエントランス側にいて視界に入れることができたので、何度も絵を観た。


いったん前情報で知っている先入観をリセットして、単純に、いまここにある絵を観ようと思い直して、もう一度、絵の全体を俯瞰してみた。


トーン全体が淡く柔らかで、でも伸びやかさがあり、何よりも「愛」がしっかりと伝わる。そして、絵を観ているだけで気持ちが温かくなるような、優しさと生命力を感じた。もう、これだけ受け取ったら十分なのではないかと思うくらい、心に灯りがともるような気分になった。


絵の周辺には、この絵の「説明文」が展示されていた。
絵に描かれた11個の要素、例えば、右側に「愛」という文字がある、といった絵を観るポイントが詳細に書かれているものだ。


この「説明文」がどのように作られたかは記載がなかったが、後述する香取さんのメイキングムービーから推測するに、香取さんが絵を描きながら、この部分は、こういう意味を込めて書いたと話していたのを、スタッフのかたが文字起こししたのかと思われる。


だから、香取さんが喋った会話口調での説明は、意図をくみ取りつつ、もう少し硬質な文面となっているのではないかと思った。


この説明文、A4サイズの用紙にびっしり2000文字くらい分量があり、香取さんがそれほど多くの思いをこの絵に込めていたのかということや、絵のパーツ一つひとつに多様な意味があると知り、本当に驚かされる。


あまりに具だくさんで完璧すぎて、パラリンピック支援に必要と思われる要素が入っているので、一瞬、これは財団さんから要素の発注ありきで、パーツを書いたのかと思ってしまったが、たぶん、それは違う。


香取さんは考え抜いて、考え抜いて、一つひとつの要素を足して、全体的なバランスを観ながら、迷いながらこれを書いたんだろうなと思う。


この説明文がパウチされたものが、エントランスに20カ所くらいに設置されていたようだが、この説明文の展示については、もう一工夫欲しかったところだ。


いかんせん、撮影禁止なうえに、一枚が小文字で長文なのでなかなか読み終わらず、行列が全く進まないで行列整理にスタッフが追い付かず、大混雑となってしまった。


会場では香取さんの思いを余すことなく受け止めようと、ケータイのメモに入力するかたもいたり、ノートにとっているかたもいたので、たぶん、そのかたたちがネット上にアップしてくれた11項目があると思う。


私はこの説明文のメモを一切とっていないので、詳細には書けない。この日は、絵そのものを全身で受け止めることだけに集中しようと思ったので、自分としては、やるべきことをやりきった感じがしている。

メイキングムービーで香取さんが見せた10日間の姿

メイキングムービーの上映は、唐突に始まった。


悪い意味でとらえないでいただきたいが、前述したこの日のイベントプログラムのなかで、香取さんのメイキングムービー上映は、メインプログラムの一つではなく、会場転換中のジャンクション的な扱いに見えた。


あまり憶測で書きたくないが、メインプログラム扱いできない理由があるなかで、最大限にできる形で披露してくれる努力をしてくれたのではないかと思うような、そういう唐突さだった。


開始も唐突で、終わりも唐突だった。
このメイキングムービーは始まりと終わりだけ、形式的な開始と終了のアナウンスがあり、壁画やメイキングムービーの話題を、MCのかたが膨らませることはなかった。それは、その日の他のプログラムにある温かい空気とはまるで異質の、事務的なものだった。


これは批判ではないので、誤解しないでいただきたい。


むしろ、日本財団さんがこの日できる最大限のことをしてくれて、SMAPや香取さん、ファンのかたたちに最大限の思いを寄せて、それでもここがギリギリのラインだったのだろうかと思うような演出だったのだと思うと、これが実現した今日と言う日を感謝したい気持ちになった。


壁画レプリカ、お蔵入りしたかもしれないメイキングムービーの上映にこぎつけるまで、どれだけ準備が大変だったのだろう、どれだけの人に頭を下げたのだろうと思うと、お客様を楽しませようとするその心意気に胸が締め付けられた。



上映されたのは、順番があいまいなので間違っていたらご指摘いただきたいが、ピアノと歌のコンサートが終わり、ラストの大黒摩季さんのライブ準備に入るときか、コンサート前だったか、会場が機材設置に入る手前だったと思う。


MCの平井理央さんが「このあとは、SMAP香取慎吾さんの壁画のメイキングムービーの上映があります」と少し前に言っていたが、それからすぐには映像は流れなかった。


しばらく、会場の雰囲気は機材設置の場面転換中という雰囲気で、ステージにはだれもいない休憩時間のような感じだった。連続するイベントプログラムが休憩なしに2時間くらいが過ぎていた時間だろうか。やっとまとまった休憩時間という雰囲気に席を立って、お手洗いに立つような人もちらほら見かけられた。


そんななか、何の前触れもなく、突然センターステージの床一面に、香取さんの壁画がプロジェクションマッピングで投影された。会場が歓声でわきあがると同時に、何の前置きもなく、香取さんが真っ白な壁を前にして話し始めた。


開場を埋め尽くしたSMAPファンの多くは、時に嗚咽をこらえながら、10日間、計60時間もかけて絵を描き続けた香取さんの姿を凝視した。


「i enjoy!」がテーマだから、自分も楽しんで描こうと思う、と語り始めてスタートしたものの、時に疲労困憊したような表情で語り、時にクリエイターとしての葛藤を吐露する、そんな香取さんの表情を一秒たりとも見逃すまいと、誰もがスクリーンに見入ったことだろう。


会場もいつしか、香取さんの張り詰めた空気が乗り移るかのような空気になっていた。目の前で絵を描いているわけではないのに、まるで描いている香取さんのずっとそばにいて、一日ごとにどんどんパーツが描き足されていく絵を観ながら、完成の声が聞けるのをただ祈るように見守るような雰囲気があった。


そんななか、香取さんが草なぎさんに絵の途中の写真を見せたという話になり、草なぎさんが香取さんがこれまで描いた絵の中で一番いいよと、大絶賛してくれたというエピソードが披露され、場が一気にほっこりするようないい空気になった。


そして、最後にサインを書いて完成を告げる香取さんに、会場の緊張は一気に解けたように拍手が広がった。


他のお仕事と並行しながら、ご自身がそのとき出せるアーティスティックなものをすべて振り絞っている様子がうかがえる、とても素敵なムービーだった。


たぶん、コンサート前の構成もこんなふうだったのだろうかと想像した。
創造を形にする喜びや楽しさ以上に大きい、迷い、葛藤、苦悩。


進んでは立ち止まり、時に信頼できる仲間に相談し、要素を足したり引いたりバランスを考えたりして、それでも最後まで責任を持って、クロージングをする責任は自分にあるのだという強さを持っている香取さんのお人柄の素晴らしさ、クリエイターとしての才能。


その圧倒的な凄さに感動して、胸にこみ上げるものがあった。同行したかたは香取さんファンなので、もう映像が始まってから、ずっとずっと泣いていたようだった。


この香取さんの素晴らしい映像を観て感動したからこそなお、なぜこの壁画レプリカと、メイキングムービーが、たった5000人としか共有できないのだろうと思うと、いまのこの状況がよりせつなく胸に迫ってきた。


香取さんが語った「楽しいばかりじゃないときに、ちょっとでも楽しく明るい気持ちになってもらえたらなと思うので、気持ちが晴れる場を作れる画(え)になってくれたらいいですね」という言葉。


これは、ワイドショーなどでも使われた言葉だが、ムービー全体を観て、香取さんがどれだけのものを振り絞って、この壁画一枚に魂を注いだかがわかると、この言葉の重みは言葉以上の力を持つ。


人を喜ばせる一瞬のために、こんなに、こんなに全力を尽くして生きている人がいるんだと思うと、その澄んだ美しい心と、完成したときの立ち姿を思い出すだけで泣けてきてしまう。


日本財団さんは今回、できることを最大限にしてくださった感謝しかない。
それでも、と思う。


どうか、香取さんのこの壁画がくれるパワーを必要としているひとに、メイキングムービーでの魂を受け取りたいと思っているひとに、この私が体感させてもらった時間を、一人でも多くのかたに届けてほしいと願わずにいられない。


説明文も、期間限定でもいいので、公式ページにアップしていただくなど、香取さんの魂のかけらを、どうか一人でも多くのかたに伝えてほしい。


暗号的な読み解かせを、ファンと楽しんでしてきた香取さんが、どういうメッセージを絵に込めていたのか、答え合わせをするかのように知りたいかたは多いと思う。


香取さんが仕込んだ暗号や思いを、この絵からどれだけ読みとれたか、そういう答え合わせをする過程もまた、パラスポーツを応援するかたとの心の交流になると思っている。


この絵はただの壁画ではなく、もはや香取さんの魂であり、分身なのだと思う。


私自身、この絵を知る前と、実際にレプリカを観たあととでは大きく気持ちが変わった気がする。


絵一枚に出会うことで、変わる生き方、晴れになる一日、笑える一瞬がある。
それを教えてくれた、本当に素晴らしい絵だと思う。
どうか、一人でも多くのかたの心に、この絵を。


そして、メイキングムービーを観てなんとなく思ったのだが、香取さんはこの絵がお披露目される時、SMAPが5人が集まることを十分意識していたのではないかと思った。


一般のかたたちに観てもらう前に、ご自身が最もたいせつにして、もっとも評価されるのが緊張するであろうメンバーに、まずは喜んでもらえるかを考えていたのではないかと。


ファンのかたたちよりも先に絵を見ていたSMAPのメンバーは、心が晴れになった状態だったんだなと思うと、あの5人のいい笑顔の集合写真、中居さんの絵を見て見てという誇らしげに伸ばした手が、いまさらながら納得できる。

世界に一つだけの花』と『オリジナルスマイル』の5000人の合唱

香取さんの壁画のメイキングムービー公開のあと、パラフェスの大トリは大黒摩季さんのライブで終了した。


大黒摩季さんの素晴らしい歌とパフォーマンス、会場の一体感は文句なしにエンディングにふさわしかった。ああ、今日はイベントだったなぁと会場の空気も温かかった。


大黒さんに失礼がなければいいが、たぶんSMAPファンの多くのかたは、ラストの『ら・ら・ら』で中居さんが主演したドラマを思い返す人もいただろう。


そういう理由で楽曲は選ばれたわけではないだろうと思いつつ、どうしても「ら・ら・ら」を全員で手振りしつつ合唱しながら、中居さんのことが頭から離れなかった。それでも、大黒さんありがとうと思いながら、いまこの空間を楽しもうと楽しみきって、イベントは終了した。


ああ、一日充実していたね、もう22時過ぎてるね、さて、帰り支度をしようかという空気に会場がなった。


ステージにいた出演者全員がほぼセンターステージからはけて、イベントは終了し、会場は明るくなり始め、スタッフは片づけを始めていた。


終了した、と会場の誰も思っていた、その時。


スクリーンに、パラリンピアンの競技の雄姿がランダムに投影されるなか、『世界に一つだけの花』が場内に流れ始めた。


会場は悲鳴にも似た号泣とともに、それまでまったく光ってなかった、SMAPのペンライトが一気に灯り始め、そして、自然と大合唱となった。


私自身、その数日後に歌のライブを控えていて、まさに『世界に一つだけの花』を猛練習中だった。でも、このときはもう、泣いているんだか、叫んでいるんだか、声が声になっているんだか何がなんだかわからなかった。


手振りをしながら、とにかく、みんなと声を合わせて手を振って、声がどれだけ裏返っていようが、鼻声だろうが、声を出し続けていたいと思った。ただただ、歌う楽しさと空間に身を委ねるような不思議な時間だった。


本当なら、この場に一緒にいるはずだったSMAPは今ここにいないけれど、SMAPが2020年まで果たそうとした役割をファンが引き継ぐかのように、このイベントに参加したかたもいると思う。


香取さんの絵を目当てにきたとしても、本来の主役であるパラスポーツ関係者を邪魔しないようにと控えめに、でも大真面目な気持ちでパラフェスを盛り上げるために来場した人もいるだろう。


その多くのかたたちが、「SMAPファン」であるということを表に出さずに過ごした数時間。


イベントは十分に楽しんだけれど、出演者や関係者のみなさんに申し訳なけれど、でも、『世界』が流れてしまうと、もう歯止めはきかないと言わんばかりに、抑えていたSMAP愛が一気にさく裂したかのように、会場全体がSMAPのペンライトの光の渦になった。


厳密には5000人ではないだろうが、ほぼ5000人と『世界に一つだけの花』を合唱するなんて、それも、SMAPがいない場にも関わらず、いまこの瞬間、SMAPを心の真ん中に熱く感じている人たちとともに一緒に歌うなんて。


世界に一つだけの花』のフルコーラスの大合唱のあと、会場は大きな拍手がわき、そこで本当に終わると思っていた。


でも、そこで耳慣れた口笛のイントロが聴こえ、『オリジナルスマイル』が流れた。再び、大合唱が始まった。


ふと見ると、数名のダンサーさんが衣装のまま、客席のファンに合わせて、最後までずっと踊り続けてくれていた。SMAPはステージにいないけれど、手を振る相手が客席の向こうにいて、ノリノリで踊ってくれていたことは、どれほど心の支えになっただろう。


後から知ったのだが、その日のパフォーマーさんには、SMAPのバックダンサー経験があるかたも複数いたようで、SMAPはいないけれどいるような温かい空気を作ってくれた、あのときのダンサーさんたちには本当にお礼を言いたい。


単純に歌って踊るのが楽しいと思える、そういう頭を空っぽにして楽しめる時間をもらえたことは、とても幸せなことだった。


歌って踊る客席に、スタッフのかたたちも驚いたようで、一度は止めたカメラを再び回しはじめたり、ファンに合わせて踊っているかたもいた。


もう『オリジナルスマイル』のときは、客電も明るくなり、もうとっくに観客としては完全退出をしなければならなかった。でも、誰もファンを止めることなく、2曲をフルコーラスで歌わせてくれた。


時間は45分も押していた。
なのに、日本財団さんの粋なはからいで、ファンは、「いるはずだったSMAPがここにいない」という喪失感を抱えて行き場がなかった思いを、この2曲を自由に歌わせてもらうことで、十分活力に転化させてもらったような気がしたと思う。


さらに、日本財団さんのはからいは、香取さんの壁画レプリカの公開時間も23時までと遅い時間までに設定してくださるところにも及んだ。壁画はイベント開始前後だけしか公開しておらず、イベント中は展示が一時的にクローズされていた。


普通に現地スタッフの終電などを考えたら、当初21時30分で終わるイベントが45分伸び、深夜時間帯になったにも関わらず、スタッフがいられるギリギリの時間まで、公開時間を延長してくださったのだ。


日本財団さんのこうした一つひとつの心配り、来場者を楽しませようとする思い、イベントを成功させようとする気持ちが、ひしひしと伝わるイベントだった。


来場するきっかけは多くのかたはSMAPだったかもしれないが、もし去年のパラ駅伝で、日本財団さんの取り組みに賛同しなければ、今年、いくら香取さんの壁画やムービーが見られても、ここまで来場することはなかったかもしれない。


また、SMAPファンも去年のパラ駅伝からのマナーがもし悪かったとしたら、こういうイベント内容を今年実施してもらえなかったかもしれない。


そう思うと、日本財団さんとSMAPファンって、一年前から今にいたるまで、「SMAP」を通して結びつき、信頼関係を築き上げ、ともにパラスポーツを盛り上げていこうという気持ちや、お互いを喜ばせようとする思いを持ち合い、もう一年かけて深めてきた絆が十分にあるのだと思った。


SMAP5人は会場にはいなかったけれど、SMAPを愛し、信じ、また再びこの場所で会いたいと願う人の思いの交信がされるような空間が、このパラフェスにはあった。


イベントの開催に尽力くださったみなさま、本当にありがとうございます。


そして、あの空間に一緒にいたみなさんと、あの空間にはいられなかったけれど魂を飛ばしてくれたかた、そして後追いで体験したいかたに。


気持ちが晴れないときは、香取さんの絵を思い出して、笑おう。


私は、5000人と一緒に歌った『世界に一つだけの花』を、一生忘れない。


忘れないだけでなく、あのときもらったパワーを、きちんと言葉で返して行こうと思う。


私は本業が書き手だが、無償の個人ブログのため、記事を推敲なしに一発で書き上げているので、読みにくい点があったら失礼します。この荒々しい感じが、むき出しの思いそのものだと受け止めていただければと思う。


では、また。

コラボブログについて

今日は、「剛 しっかりしなさい!」のブログ運営者である、凪(なぎ)さんのコラボブログ 【SMAPとココカラ】(46)free birdを受けて、コラボブログ第47回として書いた。


主旨について
ブログ主旨については、下記にリンク先を掲載している。
【コラボブログ:SMAPとココカラ】(2)SMAPとファンは、もはや一つの組織の最下段、【コラボブログ:SMAPとココカラ】(4)木村拓哉さんの自己犠牲の精神の序盤で紹介している。